- 2007年7月 7日 00:10
- 1884年(明治17年)
1884年(明治17年)7月7日、特権的貴族制度「華族令」が公布されました。
西南戦争後、明治政府の体制確立のため、旧華族(公卿、諸侯)制度を、西欧の制度を参考にして整備することが検討されました。
1881年(明治14年)国会開設が定まると、将来の上院の母体として華族制度の確立が必要になり、伊藤博文は宮中の制度化と並行して華族制度の制定に努め、井上毅の起草で1884年7月、華族に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵を設け、門閥・勲功により爵位を授ける華族令を公布しました。
爵位は男子の世襲で宮内卿(宮内大臣)の管掌とされ、子弟には相応の教育を受けさせること、禁錮以上の刑をうければ爵位を返上することなどを定めています。
旧華族のほか維新の功臣にも授爵され、1907年に改訂、そして1947年(昭和22年)に廃止となります。
公爵
叙爵基準は親王・諸王から臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉功ある者とされたが、実際には皇族から華族となった者への叙爵はなく、公卿以外では徳川宗家、旧薩長藩主、伊藤博文・大山巌・桂太郎・山県有朋・松方正義が叙爵した。
侯爵
1884年(明治17年)の華族令で定められた公爵に次ぐ爵位。
叙爵基準は旧清華家、徳川旧御三家、旧大藩知事すなわち現米15万石以上、旧琉球藩主、国家に勲功ある者で、貴族院の終身議員となる。勲功による叙爵には、井上馨・大隈重信・小村寿太郎・佐佐木高行・西郷従道・東郷平八郎・野津道貫らの例がある。
伯爵
叙爵基準は羽林家・名家など大納言まで宣任の例は多く、旧堂上、徳川旧御三卿、旧中藩の知事すなわち現米5万石以上15万石未満、国家に勲功のある者である。
30歳以上になると互選により5分の1程度が貴族院議員となった。勲功による叙爵は伊地知正治・板垣退助・伊東巳代治ら41人。
子爵
叙爵基準は維新前に家をおこした旧堂上、旧小藩知事すなわち現米五万石未満および維新前に旧諸侯であった家、国家に勲功ある者である。30歳以上になると互選により五分の一程度が貴族院議員となった。
男爵
華族叙爵内規による叙爵基準は、維新後に華族に列せられた者、国家に勲功ある者である。30歳以上になると互選により五分の一程度が貴族院議員となった。日清戦争・日露戦争などの戦功による叙爵で著しく増加した。
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