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江戸を東京と改称し都を遷すの詔

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1868年(明治元年)7月17日、明治天皇は江戸を東京する詔書を出します。

江戸を東京と改稱し都を遷すの詔

朕今萬機を親裁シ億兆を綏撫す江戸は東國第一の大鎭四方輻輳の地宜しく親臨以て其政を視るへし因て自今江戸ヲ稱して東京とせん是 朕の海内一家東西同視する所以なり衆庶此意を體せよ

1868(慶応4年)5月の上野戦争が終わって間もなく明治と改元し、引続き江戸を東京と改称し、この時を以て天皇を東京へ遷座となったのでした。

この遷都の儀は大久保が最初大阪を唱えたが、4月1日江藤新平が大木民平(喬任)と連署で、江戸遷都の意見書を岩倉具視へ差出したので、後にはこれを以て佐賀藩の議論として朝廷へ建白することになりました。

その理由として、既に関東地方は新政府の支配下に入っていたものの、奥羽越列藩の抵抗はなお強く、政府軍はしばしば苦戦し、したがってまた、江戸および関東の民心も真に安定しないので、天皇を江戸にむかえて威令を示し、民心をひきつけようとするものでした。

佐賀藩の建白は廟議に移され、広沢平助が尚早論と唱え容易にその議が容れられそうになかったが、木戸孝允が広沢を説きつけたので、6月19日廟議は一決、木戸・大木の両人が江戸へ下り、江藤と相談の上、三条実美を首席に、大久保利通大村益次郎等も会合し、三日間の会議に於いて江戸を東京と改め、天皇の行幸が決定しました。

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