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木口小平、「死ンデモラッパヲハナシマセンデシタ」

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1894年(明治27年)7月29日、朝鮮京畿道成歓において日清両軍の最初の本格的陸戦が開始しました。

日清戦争の宣戦布告は八月一日におこなわれるが、事前の衝突というかたちで在朝鮮の大島旅団が七月二十九日、成歓で清国軍をやぶった。

坂の上の雲』(日清戦争)より

甲午農民戦争鎮圧のため朝鮮の牙山に上陸した清国軍を撃つため、日本軍は日清宣戦とともに牙山に向かい成歓で両軍が衝突します。この時、安城渡の戦で、歩兵21連隊(大島混成旅団)第3大隊第12中隊の喇叭(ラッパ)手・木口小平が喇叭を吹きつつ戦死します。

木口小平

木口小平は岡山県川上郡成羽村(現、成羽町)から現役兵として出征します。突然の出征にとまどい、両親に一通の手紙を書くのがやっとであったと云います。

安城渡を超えて前進した7月29日3時20分、尖兵となった第12中隊第2小隊がかろうじて佳龍里附近に到達したとき、30メートル前方の家屋から猛烈な射撃を受けました。ここには、少し前に成歓から派出された100名余の清兵が待ち受けていたのでした。

畑地に伏して応戦するが、まず尖兵長の山田少尉が負傷し、ついて中隊長の松崎大尉が倒れ、兵士数名も負傷する。このとき、14名が戦死し、20数名が負傷し、第3大隊第9中隊一等卒の白神源次郎喇叭卒が進軍喇叭を吹いているときに敵弾にあたり、死に至るまで喇叭を吹いていたという、軍人美談が伝えられます。

しかし、これは後日訂正されて、同じ大隊で第12中隊一等卒の木口小平喇叭卒の美談として改められます。木口小平は突撃ラッパを吹奏中、咽喉に敵弾を受けて倒れるが、小銃にすがって立ち上がり再び突撃ラッパを吹き続けたと云います。

のちに小学校の教科書(修身)や軍歌「喇叭の響き」にも取り上げられます。

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木口小平の真実 from 旅の記憶 2008-07-30 (水) 11:33
岡山から伯備線で一時間、備中高梁に行くと木口小平の記念碑がある。知らない人も多いだろうが、年配の老人は必ず知っている有名人だ。戦時

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