- 2007年8月 5日 01:01
- 1882年(明治15年)
1882年(明治15年)8月5日、戒厳令が元老院の審議を経て、太政官布告(第36号)によって交付されます。
戒厳令とは戦時若しくは事変に際し、兵備を以て全国若しくは一地方を警戒する法にして、臨戦地境と合囲地境との二種に分つ。
臨戦地境は警戒すべき地方を区域と為すものにして、合囲地境は、敵の合囲若しくは攻撃其他の事変に際し、警戒すべき地方を区割して、合囲の区域となすものなり
臨戦地境内に於ては、地方行政事務及司法事務の軍事に関係ある事件に限り、其地の司令官に管掌の権を委し。合囲地境内に於ては地方行政事務及び司法事務は其地の司令官に管掌の権を委するものとす。
戒厳地境内に於ては、司令官は集会又は新聞雑誌等の妨害あるものを停止し、軍需に供すべき民有物品又は銃砲火薬を調査し、郵便電信を開緘し、出入の船舶諸物品を検査し、戦状に依りては民有の土地家屋等と破壊する等の権を有す。鈴得巌著『軍事解説』より
戒厳令は有事の際に国民の気持ちを一つにまとめるとともに、軍事機密が漏れることを防ぐことを意図したものです。
戦時またはそれに準じる非常事態に際して一定の区域内の国民の権利・自由を制限し、行政・司法の事務の一部または全部を軍事機関の支配下におくことを定めた法令であり、大日本帝国憲法では、戒厳の宣告は天皇の大権とされ(第14条)、形式は勅令で定められました。
臨戦あるいは合囲の区域(敵軍に囲まれたり攻撃をうけたりする区域)では、戒厳司令官が行政・司法事務を管轄し、集会や出版物の停止、民有の家屋や物品の検査・接収、郵便物の開封などの権限をももちます。
これまで日清戦争時に広島、日露戦争時には長崎・佐世保・対馬・台湾などに臨戦地境戒厳が敷かれますが、合囲地境戒厳が敷かれたことはありません。
しかしながら、大日本帝国憲法には、
「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」(第8条)
とあり、クーデターや事変などで無警察・無政府状態となった場合に戒厳令を限定的に適用できる行政戒厳がありました。これは、日比谷焼き討ち事件(明治38年)、関東大震災(大正12年)、二・二六事件(昭和11年)で実施されます。
その後、戒厳令は第二次大戦の敗戦により失効となります。尚、現法の日本国憲法には「戒厳」の規定はありません。
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