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ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする

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1871年(明治4年)8月9日、明治政府は太政官布告を以て、「散髪、制服、略服、礼服ノ外、脱刀モ自今勝手タルベシ」という「散髪脱刀令」を布告しました。

散髪脱刀令
散髪制服略服脱刀共可為勝手事
但 禮服ノ節ハ帯刀可致事
太政官第399号(明治4年8月9日)

狭義には散髪、脱刀許可令ですが、広義には、これまで武士・農民・町人など各身分の象徴だった髪型と服装を自由にし、また武士身分の象徴だった帯刀も自由にするという身分象徴からの解放といえます。

丁髷(ちょんまげ)を落とす断髪の風習は、すでに幕末期に留学生や洋式訓練をうけた諸藩兵の間に始まっていて一般にも次第に広まりますが、この布告の後は急速に普及し、文明開化の象徴とみられましたた。

半髪頭ヲタタイテミレバ因循姑息ノ声ガスル、総髪頭ヲタタイテミレバ王政復古ノ音ガスル、ザンギリ頭ヲタタイテミレバ、文明開化ノ音ガスル

脱刀に関しては、1869年(明治2年)5月に外国官権判事の森有礼が公議所に建議しますが、全員一致で否決されていました。この布告後も脱刀は容易には進まず、

子規の母方の祖父は大原観山という旧松山藩随一の学者でながく藩儒をつとめていたが、このひとが大の西洋ぎらいで、自分もちょんまげのまま生涯を通し、初孫の子規にもまげを切らさず、外出には脇差一本を帯びさせた。断髪令はすでに明治5年に出ており、町の子はことごとく丸坊主になっていたが、子規だけがそんな頭でいた。
坂の上の雲』(真之)より

1876年(明治9年)の「廃刀令」によって強行されることになります。

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Comments:3

長尾 史郎 2008年8月 4日 23:19

ザンギリ頭,総髪頭,半髪頭...は余りに有名ですが,この歌はどういう形で流布したのでしょうか? 何か活字になったりしたのか,あるいは口伝に伝わったのでしょうか? どなたか,文献を御教示願えないでしょうか。

kaiZer 2008年8月 5日 01:58

はじめまして。

この歌は、明治4年発刊の『新聞雑誌』(第20号)で掲載され広まりました。

紙上で、「近頃の頭様」と題して、半髪、惣髪、ジャンギリ、冠下、坊主の五種類を挙げ、また、
「半髪頭をたたいて見れば、因循姑息の音がする」
「総髪頭をたたいて見れば、王政復古の音がする」
「ザンギリ頭をたたいて見れば、文明開化の音がする」
の三首を挙げたことに始まります。

文明開化には魅力はあるが、外夷や罪人頭への連想をさせるという皮肉を込めた掲載であったようです。

参考資料: 「明治文化史12 生活編」(昭和30年、洋々社発行)

Anonymous 2008年9月26日 11:11

がんばれ

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