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日本の水泳と初の国際水泳競技大会

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1898年(明治31年)8月13日、西波止場(通称フランス波止場)の外国人水泳場で、水府流太田派対在留外国人による初の国際水泳競技大会がが開催されました。

800メートルでは外国人チームが勝利したものの、100メートルと400メートルでは水府流太田派の溝口幹樹が優勝し、総合で水府流太田派の優勝となりました。

水府流
水戸藩では島村正広が創始した熨斗泳(のしおよぎ)の島村流が那珂川上市に、小松正永が創始した二重熨斗泳の小松流が那珂川下市に稽古場を備え、藩士に水術を教授した。この両派を1842年(天保13年)藩主水戸斉昭の命により一本化し、水府流水術と称します。泳法はあおり足横体を基本とし、片抜手一重伸・大抜手・小抜手・早抜手など特徴的な泳法がある。本流派を高松藩主松平頼重の命をうけて今泉八太夫が改良したものが水任流。明治期に太田捨蔵が本流派をもとに水府流太田派を案出し、隅田川の浜町河岸に水練場を開いて指導し、有名となった。

そもそも、日本の水泳水軍(海賊)などの戦闘技術として発達します。江戸時代に幕府や各藩が奨励したため、水術・水練術とよばれる武術の一つとして確立し、多くの流派がうまれます。明治期以後は学校教育や軍事訓練にも採用されています。

現在、日本水泳連盟が認める日本泳法の流派は、能島(野島)流、岩倉流、小池流、観海流、向井流、水府流、水府流太田派、水任流、神伝流、山内流、小堀流、八幡流、神統流となります。泳法には水面に伏した、あるいは仰向けの姿勢をとる平体、横向きの姿勢をとる横体、立泳ぎの立体の三体があり、蛙足・あおり足・巻足などの技術を用います。

能島流
野島流ともいいます。
中世瀬戸内海の水軍で、伊予国能島を根拠地とした村上義弘が、南北朝時代に水軍戦法として創始したと伝えます。藤原秀時が弘安年間に海賊流として創始したという説もあります。中世末から近世初頭に大成し、寛文年間に和歌山藩に伝えられます。のちここから小池流、観海流がうまれています。泳法は平体と巻足を用いる立体を基本とします。

なお、『坂の上の雲』の秋山真之正岡子規神伝流を学んでいます。

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)お囲い池というのは旧藩時代のプールで、石をもって周囲をかこみ、後のいわゆるプールとさほでかわらない。旧藩のころはここで藩士の子弟が藩の水泳師範から神伝流水泳術とまなんだが、虚子のころでも城下の少年は夏になればここであそび、水泳達者の者から旧藩以来の神伝流をまなんだ。

坂の上の雲』(海軍兵学校

神伝流
創始者は伊予国大洲藩の家老加藤主馬光尚。
光尚は寛永年間神伝主馬流を案出し、大洲の肱川で藩士に教授した。
1797年(寛政9年)六代目の蓑島正利の弟祐根は伊予国松山藩に迎えられ、松山にこの泳法を伝えたといいます。また1848年(嘉永元年)美作国津山藩士植原正方により津山にも伝えられました。
あおり足を使う泳法で、遠泳に適する。真・行・草の三体があります。

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