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乃木希典大将夫妻、殉死

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乃木大将遺言書
乃木大将遺言書 直筆の一部

1912年(大正元年)9月13日、先の7月30日に崩御した明治天皇の葬儀が行われた今日、陸軍大将乃木希典静子夫人とともに自殺しました。赤坂新町の自宅で発見された遺体の側には明治天皇の写真が置かれ、その前に遺書がありました。

自分此度御跡を追ひ奉り自殺候處恐入候儀其罪は不輕存候然る明治十年役に於いて軍旗を失ひ其後死處得度心掛候も其機を得ず皇恩の厚に浴し今日迄過分の御優遇を蒙り追々老衰早御役に立候時も無餘日候折抦此度の御大變何共恐入候次第茲に覚悟を相定め候事に候

乃木大将遺言書(第一條)より

「明治10年の役(西南戦争)において軍旗を失い、その後死処を得たく心がけ候もその機を得ず・・・・・・、この度の御大変なんとも恐れ入り候次第ここに覚悟相定め」と、明治天皇への殉死であることがわかりました。

夫人は、胸に短刀を突き刺したまま、うつ伏せに倒れていました。乃木大将は、礼装の上着を脱いで、軍刀で腹部を左から右に斬り、その後、喉に刀を突き刺し、右から左に一気にはねていました。部屋は地でひたされていたと云います。

乃木夫妻殉死の刀

乃木大将の殉死は、さまざまな論議を呼びます。

夏目漱石は、著書「こころ」で

こころ (新潮文庫)西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方が苦しいだろうと考えました。

夏目漱石著「こころ」より

と、その心境を語ります。

一方で、志賀直哉は、

「馬鹿な奴だ」

と、日記に記しました。

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