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松山市の「坂の上の雲」巨大馬御輿に一言

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坂の上の雲」ミュージアムに「坂の上の雲」記念切手、「坂の上の雲」雲形ナンバー、そして「坂の上の雲」ビールと、いろいろな企画を模索中の松山市。

とうとう、ここまで盛り上がってきました。

山本氏が巨大馬御輿をデザイン 坂の上の雲

来年4月にスタートする坂の上の雲ミュージアムの企画展「坂の上の雲1000人のメッセージ展」の一環として、デザイナーの山本寛斎氏が、松山市民制作による巨大馬御輿(みこし)でパレードするプロジェクトを提案し21日、同市一番町3丁目の同ミュージアムでの記者会見で発表。「市民自らが作り、魂の入った祭りにしたい」と意気込みを語った。
山本氏はメッセージ展の招待作家としてミュージアムから依頼を受けた。同氏らによると、巨大馬御輿は、日露戦争などに従軍した松山出身の陸軍軍人秋山好古が率いた騎兵隊からイメージ。宇和島の牛鬼をベースに、後部に太鼓を打ち鳴らす台も設ける。高さは馬の頭部に当たる部分が最大6メートル、体長は10数メートルを想定し、松山市の技術や素材にこだわるなどして市民主体で2体制作。来年3月末に同企画展の前夜祭のイベントとして市民が担ぎ、市内を練り歩く。

愛媛新聞(10月22日記事)

これには正直言って、呆れました。

まるで日露戦争の勝利に浮かれて大騒ぎしている民衆を見るようです。
その内に提灯行列や路面電車を「花電車」に装飾したり、椿神社の大鳥居を「凱旋門」に見立て、あげくには、学問の神様として「秋山神社」まで造ってしまうのでしょうか。

秋山好古の日本騎兵は、千葉県習志野こそが語るに相応しく、松山市が然もありなんと、これを結びつけるのはいかがなものでしょうか。果たして、教育者として松山市に帰参した秋山好古が、そんなものを望んでいるのでしょうか。華美を嫌った秋山好古なら一喝するのではないかと思います。

松山市は日露戦争時のロシア兵の捕虜収容所のなかで、最も待遇の良かった所として記録されています。それ故に国際都市の模範たるべきを明確に示すべきかと存じます。

また、司馬遼太郎氏は著書「坂の上の雲」の中で、「伊予は水軍の国である」と述べています。
故に、正岡子規や秋山兄弟の祖先でもある、河野水軍をはじめとする伊予水軍の歴史を、もっとアピールしてゆくべきかと思います。

「兜の緒を締めよ」ではないですが、緩んだ手綱を引き締めてかかるべきかと存じます。

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Comments:2

左内 2007年10月25日 12:05

びっくりした。こんなことするのか?
松山市民としては何とも言い難いです。

Anonymous 2008年1月17日 18:13

松山出身で現在県外に在住している者ですが、なんだか逆に寂しい気がします。

過去のことはそれとして大切に保護していかなければなりませんが、どうも「悪乗り」感が否めない気がしてなりません。

パレードなどでお金を使うより、もっと守らねばならない町並みや景色もあるでしょうに、残念です。

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