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乃木希典、学習院院長に就任 (2)

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日露戦争の第三軍司令官として、旅順の堅塁に又は奉天会戦に殆んど辛酸を嘗め尽さざるを得なかった乃木希典将軍も、遂に強敵を倒して赫々たる勲功をあらはし、東京に凱旋すると間もなく、59歳の老齢でありながらも矍鑠(かくしゃく)たるものがあり、1907年(明治40年)1月31日には明治天皇の御思召により学習院院長を拝命しました。

乃木将軍が学習院長に任命されるや、院内にあって生徒と共に寝食を共にし、一月のうち数回しか自邸に帰る事は無かったという熱誠振りでした。

言うまでもなく学習院は貴族の子弟教育機関であり、その院長たるものは学習に訓育に特別の責任がありました。しかもどんな高貴の子弟に対しても、厳然たる教化第一主義を以て臨んだ乃木将軍でした。だから撃剣に水泳に、あるいは遊戯にも遠足にも、老躯を提げて行を共にしました。

ある年の夏などは、自ら立って生徒と一緒に校庭の草をむしります。華族の子でも草をむしる位の習慣は幼少の頃から養はねばならぬという乃木将軍の意見でした。第三軍を叱咤した将軍が先頭に立って自ら上衣を脱ぎ、両手を泥だらけにしての作業には、誰も嫌だと否む事が出来きません。

生徒一同せっせと草をむしっていると、俄かにひどい雷が鳴り出しました。「ワーッ」と一同、電光に弾かれたように屋内に逃げ込んでしまったが、乃木将軍一人はどこに風が吹くやらと言わぬばかりに、相変わらず草をむしり続けていたそうです。

こんな具合であったので、生徒の方が却って気骨稜々たる老将軍の元気に圧され気味でした。

朝、後れて登校するものがあると、将軍は門の傍らに立って「駈け足!駈け足!」と大声を張上げるという調子で、学習院の空気も何時しか軍隊式の規律に変って行ったそうです。

また次のような事もありました。ボート部の委員がボートの建造を願出たので、将軍は「よし来た!」と承諾すると、そのまま身軽に軍馬に跨り、一鞭あててどこへか駈けて行ったが、やがてカツカツと蹄の音高く帰ってきて頗るの上機嫌、直ぐにボート部の委員を呼寄せ

「俺は今海軍省へ行って、ボートの払下げを承諾さして来たよ、何しろ海軍省のボートなら堅牢無比、あれなら理想的だろう」

と如何にも得意そうなのに、ボート部員一同すっかり面食いました。

「海軍のカッターと、我々の隅田川あたりで競漕に用いるボートとは、全然物が違います。」

と一応の説明をすると、「ああそうだったのか」とめったに笑った事のない乃木将軍も思わず大笑いして、早速新ボートの注文をしたという逸話があります。

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