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全職員のチョンマゲを切り洋服をきせた、井上馨の英断

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井上馨
井上馨

明治初年、官職が率先して全員の丁髷(ちょんまげ)を斬り洋服に改めたいという服制改革の先頭を切ったのは、大阪の造幣寮(現在の造幣局)であり、1873年(明治6年)2月9日の出来事でした。

時の造幣頭は大蔵少輔井上馨でしたが、彼はその以前の文久年間に井上聞多と称していた時分に、伊藤俊輔(後の伊藤博文)と共にイギリスに留学した程の先覚者だけに、総ての考えが旧弊を棄て新しい日本を興すという意気に燃えていました。だからその頃としては外に例のない服務時間を7時間と定め、厄介な丁髷も斬らせ、服装も羽織袴の日本服を改め、全員同一型の洋服に統一する事を命じました。しかし通り一遍の命令ではなかなかこれに従わないので、命令に背く者は直ちに解雇すると通達しました。

既に断髪廃刀の令が下されたのは、それより以前の1871年(明治4年)8月9日でしたが、士族も町民も丁髷を斬るのは指を斬られるより辛い事でした。何しろ千何百年来の風習として、医者や坊主でなくては頭髪を短くしなかったのに、急に髪を切れとは余りにも苛酷だ、何も今さら日本人が毛唐の真似をすることはあるまいというので、江戸が東京と改められ、新橋横浜間には汽車が動き出した文明開化の時代となっても、相変わらず頭を撫して丁髷を大事にしたものです。

だから例え造幣頭の通達でも、丁髷だけはおいそれとは斬らなかったのでした。「今暫く御猶予を願います」と一日一日と伸ばすので、遂に「首を斬られたがよいか、髪を斬るか、どちらがよいか!」と詰め寄られ、その場で髷を切られた者は少なくありません。役人馬場権頭という人も遮二無二髷を切落とされた一人でありましたが、その夕刻しょんぼりと家に帰ると、妻が「アッ」と驚嘆、後はオーオーと泣くばかりで、悲嘆の余り夕食の箸も取ろうとしなかった。主人は諦めて「これも時節じゃ、泣くな泣くな」と宥めてみたが、妻の方はお役所の仕打ちを恨み、主人の頭を見ては一晩中泣き明かしたという悲喜劇もありました。

また、貨幣彫刻師の何某の如きは、断髪は死ぬより辛いとあって、わざわざ高価な鬘を造らせ、断髪したように見せかけて出勤したところが、すぐに露見してこれもちょん切られた等の、様々な逸話が残っています。

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