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江戸幕府の始まりと終焉は奇しくも同じ日だった

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徳川慶喜
15代将軍徳川慶喜

1603年(慶長8年)2月12日、徳川家康は征夷大将軍となり、名実ともに武家の棟梁となったことで、統治権を掌握し江戸に正式に幕府を開きました。それからちょうど265年後の1868年(慶応4年)2月12日、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、海路江戸に逃げ帰って来た第15代将軍徳川慶喜は、朝廷に恭順の意を表すために、江戸城を出て上野の寛永寺に隠退し謹慎の意を表します。

ここに江戸幕府は終焉を迎えます。

奇しくも家康にとって最も華やかな大将軍宣下の日と、将に火が消えようとする日とが、ちょうど同じ2月12日であった事は歴史の因果を感じさせます。

徳川慶喜は水戸藩主徳川斉昭の七男で、2年前に14代家茂の後を継いで将軍となりました。フランス公使ロッシュの意見を採り入れたり、政治刷新や軍備の充実を図るなど、「神祖家康の再来」と言われたほどの人物でした。ちなみに大河ドラマの主役である天璋院篤姫には無茶苦茶に嫌われますが・・・

倒幕運動の出鼻をくじき、徳川氏による政権運営を考えた慶喜は、前年10月に大政奉還を申し出ますが、12月に王政復古の大号令が出され、薩長は慶喜の官位と領地没収が画策します。これに対し慶喜は正月に討薩を発表、3日には京都の鳥羽・伏見で戦火を交えることになります。しかしこの戦いに幕府軍は大敗し、慶喜は海路江戸に逃げ帰って恭順専一の態度をとっていたのでした。

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