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「西洋紙」の普及は西南戦争のおかげ

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1876年(明治9年)2月20日、東京府王子村(現、北区)に、最初の洋紙専門工場が建てられ、目出度く落成式を挙げました。

その少し前の明治5年に、イギリス人のトーマス・ウォートルスが日本に洋紙の製法を伝え、東京京橋の蠣殻町に仮工場を設けますが、機械が不完全なため、明治6年に浅野長勲が、ウォートルスの勧めに従い、イギリスから四萬二千両で紙抄機械を輸入し、改めて「有恒社」という製紙工場を建てます。

しかしそれでも理想的ではないというので、更に本格的の工場を設けたのが、前述の王子の製紙工場(現在の王子製紙)で、ここに初めて洋紙らしい洋紙が送り出されるようになったのでした。

ところがその時代の国民は、長い間の和紙に馴染んでいるので、折角の洋紙も一向に需要がなくて、製品は倉庫に山積みのままの経営難となり、青息吐息の状態に陥ります。

しかし、翌10年の西南戦争が勃発すると、報道機関としての各新聞が続々と発行されるようになり、日本国産の和紙は活版印刷に適さないため、西洋紙の需要が激増し、注文が殺到するようになります。ストック品はたちまち吐けてしまい、品不足さへ告げるようになったのでした。

そこで製紙工場も数ヶ所に建設するような状態になり、これに学んで政府側でも明治12年には初めて国産洋紙紙抄機を造り出し、洋紙製造も大いに発展するようになりました。

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