- 2008年2月24日 00:02
- 1873年(明治6年)

1873年(明治6年)2月24日、明治新政府により、切支丹(キリシタン)禁制の高札が、初めて撤去されます。
江戸幕府の始め、天草の切支丹一揆以来、耶蘇教(キリスト教)に対する禁令は厳密を極め、その信徒に重い刑罰を課すること実に二百数十年間、明治の代になって、やっと信徒の自由が許されるに至ったのでした。
その直接の動機というのは、明治4年の秋、右大臣岩倉具視が全権大使となり、木戸孝允、大久保利通らを従えて、欧米列国を歴訪した時、アメリカ政府が日本に対する申出の中に、耶蘇教(キリスト教)禁制の高札を不当とするという抗議がありました。そこで新政府もこれを認め、門戸を開放し、宗教の自由を許す事となったのでした。
ただし、これは列強への対面を繕っただけの黙認であり、特に外国人の目のつきやすい横浜・東京付近の高札を撤去しただけに過ぎません。よって地方では弾圧は依然として行われていたのでした。やがて地方を巡業する宣教師により、キリスト教禁令の高札をしばしば目にしたとの報告がなされて、諸外国は日本政府の欺瞞に気付き抗議します。
日本におけるキリスト教の公認は、正式には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法第二十八条による「信教上の自由権」及び、1899年(明治32年)の「神仏道以外の宗教宣布並堂宇会堂に関する規定」によりやっと認められたのでした。
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