Home > 1872年(明治5年) > 明治時代の「東京不燃都市化計画」(銀座煉瓦街)

明治時代の「東京不燃都市化計画」(銀座煉瓦街)

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

銀座
煉瓦造りの建物が並ぶ「銀座通り」(明治9年頃)

1872年(明治5年)2月26日の午後2時、和田倉門内の兵部省から出火して、東京の築地、銀座一帯の約4,000戸を焼失する大火がありました。

これにより、井上馨大隈重信伊藤博文らは、道幅を広げて飛び火を防ぎ、特に銀座の表通りの建物だけは、延焼を防止するために、従来の木造建を廃して、総て煉瓦造りの英国風建築に改造する都市計画を立てます。

設計は、大蔵省の御雇外国人でるイギリスのJ・T・ウォートルスがあたります。建築用の煉瓦は、川崎八右衛門が小菅につくった煉瓦製造所に、ウォートルスの指導で最新の窯を設置し、製造しました。また、セメントは、建設局が深川に設けた製造所でつくられました。

こうして、東京の表玄関である銀座通りは、「銀座煉瓦街」と呼ばれようになります。ただし、始めの頃はたいへん雨漏りがひどく、一時は空き家が目立ったようです。

拍手する

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ 人気ブログランキングへ

関連エントリー


Comments:0

Comment Form

Home > 1872年(明治5年) > 明治時代の「東京不燃都市化計画」(銀座煉瓦街)

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2008年2月 »
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29  
Search
Photos
Tag Cloud
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top