- 2008年2月26日 00:23
- 1872年(明治5年)

煉瓦造りの建物が並ぶ「銀座通り」(明治9年頃)
1872年(明治5年)2月26日の午後2時、和田倉門内の兵部省から出火して、東京の築地、銀座一帯の約4,000戸を焼失する大火がありました。
これにより、井上馨、大隈重信、伊藤博文らは、道幅を広げて飛び火を防ぎ、特に銀座の表通りの建物だけは、延焼を防止するために、従来の木造建を廃して、総て煉瓦造りの英国風建築に改造する都市計画を立てます。
設計は、大蔵省の御雇外国人でるイギリスのJ・T・ウォートルスがあたります。建築用の煉瓦は、川崎八右衛門が小菅につくった煉瓦製造所に、ウォートルスの指導で最新の窯を設置し、製造しました。また、セメントは、建設局が深川に設けた製造所でつくられました。
こうして、東京の表玄関である銀座通りは、「銀座煉瓦街」と呼ばれようになります。ただし、始めの頃はたいへん雨漏りがひどく、一時は空き家が目立ったようです。
- Newer: 熊本城の窮地を救った漢、谷村計介(西南戦争)
- Older: 切支丹(キリシタン)禁制の高札を撤去



