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熊本城の窮地を救った漢、谷村計介(西南戦争)

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西南戦争中の1877年(明治10年)2月28日は、密使谷村計介が熊本城の危急を、本陣の野津鎮雄少将の告げるべく、その大役を果たしたという日です。

鹿児島の私学党軍3200の大軍に包囲された熊本城は、事の急を救援本隊に知らせるため、連隊谷干城は、決死の密使を命じます。

さて、その命懸けの密使を誰にさせようか?ということになり、人選の結果、一人の男が選ばれます。

伍長谷村計介であった。元来この男は宮崎県の出身で、随分沈着な男じゃったが、兼ねて小倉の軍隊で伍長を勤めており、神風連の騒動の時に、乃木さんが谷村を選んで、この男ならば大丈夫と思って熊本に遣わしたのじゃが、今度図らずも、その密使偵を選ぶというと、不思議にも人の見る所が同じようなものだと見えて、またもや谷村伍長ということに決した。
で、谷村を召し出すと、この男は未だ24、5歳の若者であって、いかにも口数の少ない沈着な男らしく、谷村は密使の命を受けて、ただ一言ハイと挨拶しただけで、26日の夜半、草木も眠るという頃合に、
「然らば皆さん」
と振り返って一言の挨拶をしながら、平然として城を出て行った。
児玉源太郎口述『熊本籠城談』より

谷村伍長は、顔や手足に鍋墨をなすりつけ、ボロの着物に縄帯を締め、すっかり百姓の姿に身をやつして、十重二十重と取囲んだ敵軍の間を脱出しようと試みます。

しかし、たちまちに怪しまれて捉われ、捕われては逃げ、訊問を受ける事前後数回、その度に臆病者の真似をして、ブルブル慄えたり泣いたりして、難を逃れます。

飲まず食わずで二昼夜、やっと高瀬本陣に辿り着き、野津少将の前に跪いた時は、嬉しさと疲労とで暫くは口も利けなかったと云います。彼の身命を賭しての働きにより、熊本城は窮地を脱し得たのでした。

しかし、間もなくして谷村伍長は、3月4日の田原坂の激戦に志願し、戦死します。

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