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奉天会戦最大の激戦「李官堡の戦い」と、大越兼吉少佐の自決

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日露戦争の「関ヶ原」と呼ばれた奉天会戦は、1905年(明治38年)2月20日から3月10日まで二週間以上も続いていました。

なかでも、一番の激戦地といわれたのが、奉天の西12キロの地点にあった李官堡(りかんほ)でした。ここには、ロシア軍を撹乱してその正面兵力を引き付けるために、乃木希典大将率いる第三軍を進撃させていました。

当初、日本の主力は、日本軍の中で最強と云われた黒木為楨大将の第一軍で、この黒木軍で奉天正面突破を行いますが、ロシア軍の頑強な抵抗により苦戦を強いられたのでした。

そこで正面突破が難しいと判断した日本軍は、攻撃の主力を奉天西方に移す方針転換を行います。乃木大将率いる第三軍を北方へ移動させ、この方面には奥保鞏大将率いる第二軍を移すことにします。

3月7日、李官堡の陣地には、第二軍の支配下にあった第三師団が駐屯しました。

しかしこの時より、第三軍により西方に追いやられたロシア軍が、大反撃に転じます。

第三師団が移動を終えたばかりの3月7日、ロシア軍は李官堡に対して、兵力を集中させて猛攻撃を仕掛けます。この攻撃により、歩兵第三十三連隊長の吉岡友愛中佐が戦死、歩兵三十三連隊はほぼ全滅します。

さらに第六連隊も竹内連隊長以下の将校全員戦死、兵士の半数近くが死傷するという壊滅的被害を受けます。

大越兼吉

第六連隊の大隊長大越兼吉少佐は、旅団長(南部辰丙少将)の許に自軍の危急を報告するため、戦場を離脱します。傷ついた足を引き摺りながら、李官堡外の畑地まで進みますが、かなりの出血で、もはや意識を失いかけそうな危険な状態になっていました。

そこで急いで鉛筆の走り書きで、旅団長宛の報告書に、味方の窮状を簡素に記すと、僅かに残った数名の部下を本隊に走らせ、彼は一人畑の中で軍刀逆手に潔く割腹しようとします。

しかし多量の出血ので気力が抜けてそれも出来ず、彼は軍刀を投げ出し、代わりに拳銃を急所に当て、轟然一発、壮烈な自決を遂げたのでした。

3月7日の午後6時半のことでした。

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Comments:4

Anonymous 2008年3月30日 14:53

竹内連隊長は戦死もせず生き残ってるぞ
何嘘を書いてるんだ
だいたい大隊長ともあろう者が自分で味方の窮状を知らせに行っただなんておかしいだろ、部下に生かせりゃすむだけのこと
ほんとは旅団長に退却の許可を取りに行こうとして力尽きて死んだだけのこと

kaiZer 2008年3月30日 18:29

竹内連隊長の記述については、以下の文献を参考にしています。

「竹内連隊長はじめ将校全部戦死、もしくは負傷し、兵員は四分の一に減少」
文献:『面白いほどよくわかる日露戦争』(日本文芸社)

「第六連隊も竹内連隊長以下の将校全員戦死、兵士の半数近くが死傷する壊滅的被害を受けた」
文献:『日露戦争エピソード100』(ダイアプレス)

また、大越大隊長の自陣離脱の記述は、本人の述懐書(遺書)に依ります。

-述懐書-

連隊長及び其他の大隊長と行動を共にせず独り陣地を退きたるは(竹内)連隊長の委託を受け実況を師団長閣下に報ぜんとせしにありき。

途中の危険を顧慮せざるにあらざるは勿論なりしも連隊長以下同僚及び部下兵卒の苦境に陥りつつあるを見るに忍びず死を決して旅団長に会し実況を報告し之を救うの策を講じ再び陣地に引かえし前諸君及び部下と枕を並べて死せんとせしにありき。然るに残念ながら途中に於て負傷し此目的を達する能はざりしは返えすも遺憾の極みなり。依て負傷後自ら死して連隊長及び同僚並びに部下と共に地下に会せんとせり。然るに右手負傷刀を執るに堪えず依て拳銃を以て自刃す閣下微衷を察せよ。

おぱぱ 2009年12月 3日 00:11

第二軍大将は奥保鞏では?

kaiZer 2009年12月 3日 01:04

おばばさん

訂正いたしました。
ご指摘ありがとうございました。

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