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軍艦による海外使節派遣の始まり(台湾問題)

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龍驤
軍艦「龍驤」(りゅうじょう)

台湾問題に就いて清国と談判のため、特命全権大使副島種臣軍艦「龍驤」(りゅうじょう)に搭乗し、横浜を出港したのが、1873年(明治6年)3月12日でした。これが軍艦による海外派遣の最初の事となります。

この軍艦「龍驤」は、1864年(慶應元年)熊本藩が英国に注文して1870年(明治3年)に竣工、後明治政府所有となった軍艦で、2,530トンという、当時としては、日本一の船であり、日本一の軍艦でした。

しかも100斤(ポンド)自存砲が一門に64斤(ポンド)舷側砲八門を装備した新造艦です。それまでの軍艦咸臨丸」は300トン、「電流丸」が300トン、「千代田形」で138トン、大きいところでは「富士山」の1,000トン、「東」(前の甲鉄)の1,358トンなどという軍艦がありましたが、やはり「龍驤」と比べれば貧弱になります。

副島種臣明治政府の遣外使節が軍艦で行くというのは前例のないことであり、この堂々たる軍艦に乗って、清国へ談判に行くという副島種臣は意気揚々として、「大艦堂々海潮を圧す」という詩を吟じています。

その時分の台湾は、中国の領土であるか、それとも清国の殖民地なのか、甚だ曖昧としていました。すなわち当時の厦門(アモイ)米国領事リセンドルは、日本の外交顧問でしたが、彼の調査によって、台湾は確実に清国の領土ではないが、半ば支配権を有しているというようなものであると、すこぶる漠たる報告であった。

それまで度々、日本の漂流民が台湾蕃人に迫害されて、問題を起こしていたので、副島種臣が談判に出かけた結果、台湾は清国の領土ではないという、言質をとってきたのであった。かくてその後、台湾征伐の軍師が起こりました

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