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西郷隆盛、勝海舟の両雄、江戸の薩摩屋敷で会見(江戸開城談判)

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江戸開城談判
聖徳記念絵画館 壁画「江戸開城談判」
結城素明 筆
侯爵 西郷吉之助 奉納
伯爵 勝精 奉納
1868年(明治元年)3月14日
東京芝田町薩摩藩邸

1868年(慶應4年)3月9日、山岡鉄舟が駿府城の西郷隆盛を訪れたことは先に述べましたが、山岡鉄舟の帰って後に、西郷は予定を変更して駿府を発足、3月12日江戸高輪の薩摩屋敷に入りました。

勝海舟は西郷が高輪に来たと聞いて、二度目の書面を出します。

一戦数万の生霊を損せんとす、その戦名節条理の正しきに非ず、各々私憤を包蔵して丈夫のなすべき所に非ず。吾人これを知ると雖も官軍猛勢、白刃飛弾を以て漫りにおう弱の士民を刧す時は、我も又一兵を以て之に応ぜずんは、無辜の死益々多く、生霊の塗炭益々長からんか。軍門実に皇国に忠する志あらば、宜しくその条理と情実を詳にし、後一戦を試みられんことを

と、縷々その衷情を吐いていますが、その翌日のお午頃、勝海舟自ら高輪の藩邸に出向いて西郷に会見します。

勝は小作りの体に羽織袴をつけ、細身の脇差というきりっとした姿、これに対してだぶだぶの洋服をつけた大兵肥満の西郷が、

「やあ勝先生」

と、ニコニコ顔で迎えれば、

「おお西郷さん、久々ぶりで」

と、両雄は座についたのでした。

西郷、勝の二人が初めて会ったのは、1864年(元治元年)9月11日で、それから4年ぶりの再会でした。その時分から、「西郷どんは偉い人物だ」、「勝先生は大人格者だ」と互いに尊敬しあった仲でありました。

この両雄、すなわち官軍と幕府軍の両旗頭が、頭の振り方一つで雨とも風ともなるわけで、幾万の生霊を活殺する鍵を握って相対したのでした。

「勝先生、此度は嘸御心配でごわそう」

西郷が大きな腹をゆすって笑うと

「如何にも困り申した。しかしあんたが参謀じゃから安心して居りますじゃ」

と勝も笑う。

「先生の御心中は先日の御書面なり昨日の御書面で大体承知しとります。本日お目にかかった上は、具に御意見を承りたいが」

「否、今日は久々ぶりにお目にかかりに来たばかりで、明日更めて幕閣の意見を纏めた上で御返事申上げる。拙者の腹中は再度の書面で宜しく御推察願いたい。久しぶりのことで緩々お話も伺いたいが何分にも拙者が居らんでは、幕臣ども何を仕出かすか心配でなりませぬで、今日はこれで御免蒙る。なお明日はこちらへ伺はねばならぬが、兎角世間の眼がうるさい事故、出町の倉屋敷辺りは如何でしょうか」

と、会見の場所まで決めてその日は一端別れます。

そして約束どおり、翌日の3月14日、官幕両代表が正式の会見に、一兵の犠牲者も出さず、平和の裡に江戸城明渡しの協約が成立したのでした。

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