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「もう戦えません!」、退却将軍クロパトキン辞任する

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クロパトキン

日露戦争中、日本軍が鉄嶺(てつれい)を占領したのが、1905年(明治38年)3月16日の早暁でした。

鉄嶺は水陸の上に交通網・通信網が広く四方八方に通じており、防御陣地としても頗るの要害。奉天会戦に大敗したロシアの残兵は、塔山の方に速射砲30門、蓮花泊の方に8門の砲を据えて、ここを先途と防ぎ戦います。

先の奉天の占領は政治的には重大の勝利を劃しましたが、軍略上においては寧ろ鉄嶺により大きな利益がありました。鉄嶺を占領すれば、物資豊富な遼河の流域から敵を殲滅して、その原動力を奪取することになります。日本軍は奉天の勝利に気を緩めることなく、15日の夜に入って、最後の止めを刺しにかかります。

固より踏み止まって勝算無しとみたロシア軍は、早くも15日の夕闇迫る頃から逃げ腰となります。鉄嶺停車場に山と積んだ糧秣に火を放ち、鉄橋を爆破して追撃を阻み、我先に敗走し始めたのでした。

翌16日、夜も仄々と明けかかる薄闇の鉄嶺には、早くも翩翻とひるがえる日章旗が見られたのでした。

敵将クロパトキンは、命辛々開原に逃れますが、この際に本国の皇帝に電文を発して、日本軍には到底抵抗し得ずという立場から、引退静養を願出ます。そこでロシア皇帝も直ぐに総司令官の職をリネウィッチに代らせたのが、その翌日の3月17日になります。

日本軍は息継ぐ暇もなく、更に追撃続行し、18日には法庫門を占領、19日には開原、21日には昌図を占領するという具合で、ここにおいて、完全に日露戦争陸戦の勝敗は決したのでした。

一方、ロシアの大海軍は恰も同じこの日、ロジェストウェンスキー中将の率いるバルチック艦隊(第二太平洋艦隊)が、インド洋のマダガスカル島を出発、日本海に向かっていたのでした。

日露戦争の舞台は、陸戦から海戦へと移ります。

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