- 2008年3月17日 00:05
- 1870年(明治3年) | 明治の人々

合乗りの人力車
日本の交通文化の特異である人力車が発明され、その営業願が東京府役所に届けられた最初の記録が、1870年(明治3年)3月17日でありました。
発明者は当時東京箔屋町在住の和泉要助という人で、横浜で西洋人の馬車にヒントを得て、荷車に腰掛を附けた人力車を考案してみたのに始まり、次第に改良をほどこし、間もなく3月22日に営業が許可されています。
車の種類は一人曳一人乗、または合乗り、二人曳四人乗りなどがありましたが、四人乗りは間もなく廃れてしまい、他の一人乗りと合乗りの人力車がたちまち辻侍駕籠(かご)を圧倒して盛んに流行し出したのでした。
駕籠よりも楽に乗れて早い、そして賃金も安い、という三拍子揃っているのだから、気の利いた駕籠屋は人力曳きに転向する、さもなくば失業する外はありません。
もっとも初期の人力車は鉄輪の車にバネの仕掛けも無かったので、ガラガラと大きな音を立て、石ころ道なぞにかかると、乗っているお客も楽では無かったが、明治5,6年頃から全国の町々に拡がり中国まで輸出されるという盛況であり、明治9年には東京府下で2万台を超えるにいたります。
人力車は大正期以降になると市街電車や自動車の出現により、急速に衰えますが、それまでは市民のハイヤーとして走り続けたのでした。
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