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スエズ運河を通航できなかったバルチック艦隊

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スエズ運河
Google Earthで見たスエズ運河

地中海と紅海とを連絡するスエズ運河の大工事は、1859年の4月に開拓工事を起こして、満11年目にその九分通りを完成、地中海の水がピッター湖に注ぎ込まれた記念の日が、1869年の3月18日でした。日本では明治2年の出来事になります。

ここまで進行すれば後は紅海まで40キロメートルばかりで大したことはないというので、大工事関係者一同の歓喜は一方ではなかったのでした。その予測通り、ピッター湖から紅海までの最後の工事までわずかに8ヶ月、11月19日に全部の完成をみたのでした。

なお、当時のスエズ運河の通航可能な艦船規模は1万トン内外でありました。

日露戦争中の1904年(明治37年)、ロシアのバルチック艦隊は主力艦が大きかったせいで、この運河を通航することができず、やむなく艦隊を二手に分け、中型間はスエズ運河を、主力艦はアフリカ南端の喜望峰廻を余儀なくされたのでした。

ただ、当時スエズ運河は日本と同盟を結んでいたイギリスの占領下であったこともあり、さらにロシアは先のドッガー・バンク事件の失態の気まずさもあり、ロジェストウェンスキー提督は敢えてこの運河を避けたのかもしれません。

このことが、バルチック艦隊の士気を大いに下げることになりますが、強いて申上げるならば、日英同盟を締結できた日本は、この時点で既に戦略上の勝利を得ていたことになるのです。

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