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村田銃の発明

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十三年式村田銃

1880年(明治13年)3月30日、村田銃が発明されました。

陸軍中佐村田経芳(後の陸軍少将)が発明したので村田銃と呼ばれ、明治13年に完成した所から十三年式銃とも称されます。

【主要緒元】
  ・口径 11mm
  ・銃長 1,294mm
  ・銃量 4,156g
  ・最大照尺距離 1,500m

村田経芳

1875年(明治8年)1月、日頃の念願叶って、村田経芳は銃砲研究のため欧州視察に派遣され、専ら小銃の研究に専念して、帰朝後直ちに小銃の改良発明に没頭しました。

たまたま1877年(明治10年)、西南戦争が勃発して官軍の一将校として活躍しますが、射撃にかけては百発百中の名人であった云います。ある時、薩軍の一人が電信柱によじ登り、電線を切断しようとするのを発見した官軍は、一斉に銃を放って撃ち落そうとしますが、一発も当りません。

当時歩兵少佐だった村田は、

「私に銃を貸して見ろ、必ず撃ち落して見せる」

と、傍らの兵士の小銃を取るや否や、轟然一発撃砲します。すると電柱の敵兵はたちまちもんどりうって墜落しましたが、間もなく起き上がって敵の陣地に逃げ帰ってしまいました。

部下の兵士が思わず、

「少佐殿、惜しい事をなさいました」

と、残念がると

「いや、あれで好いのだ。官軍包囲の中で唯一人電線を斬ろうという、敵ながらも勇敢な奴じゃから、わざと一命だけは助けてやって、右の利腕に一発お見舞い申したのさ」

と、呵々大笑いしたのには、一同今さらの如く感服したという逸話があります。

西南戦争から凱旋した村田は本格的に小銃の改良に没頭し、ほとんど寝食を忘れて研究した結果、十三年式軍銃の発明となったのでした。

しかし村田はこれに満足せず、更に十八年式村田銃を発明します。機関部、弾薬の改良はもちろん、銃創を日本式(現在の銃創)としたのはこの十八年式村田銃に始まります。

それから更に1889年(明治22年)1月には、村田連発銃を開発します。このおかげで外国から高い銃器を購入しなくても、外国兵器を凌ぐ新鋭国産村田銃を用いる事ができ、日清戦争では大いにその威力を発揮したのでした。

即ち村田銃の制定以来、日本野戦軍の兵備が初めて確立し、一定斉一の軍隊編成が実現されるに至ったのでした。

ただ、日清戦争時の秋山騎兵大隊には、この村田銃は少々不便だったようです。

騎兵の小銃は、ななめに肩へかける。ヨーロッパのばあい、乗馬者の負担をかるくするためと馬上操作の必要上、銃身を特別にみじかくした騎兵銃というものがあったが、この時期の日本にはない。歩兵銃である村田銃をながながと背負っている。
坂の上の雲』(日清戦争)より
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