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江戸開城の勅使参向

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勝海舟と西郷隆盛

1868年(慶應4年)4月4日、勅使橋本実梁卿、副使柳原前光卿は、総督参謀西郷隆盛、林玖十郎等を従えて、池上本門寺の陣営から江戸城へ乗込み、正式に江戸開城の御沙汰を伝達しました。

その御沙汰書には、

第一条、慶喜、去る十二月以来天朝を欺き奉り、剰(あまつさ)へ兵力を以て皇都を犯し、連日錦旗に向って発砲したる罪重きに依り、追討のため官軍差向けられ候處、段々真意恭順謹慎の意を表し、謝罪申出候に付ては祖宗以来二百余年、治国の功業尠(すくな)からず殊に水戸大納言勤王の志も浅からず、旁々以て格別の思召あらせられ、左の条件実行相立候上は寛典に処せられ、徳川家の家名も立て下され、慶喜の死罪一等宥(ゆる)され候間、水戸表へ退き謹慎罷在るべきこと

第二条以下は、城を明渡し軍艦兵器を引渡すこと、家臣は城外へ退いて謹慎のこと等でありました。

徳川家を代表した田安中納言(徳川慶頼)は謹んでお受けの言葉を述べ、目出度く式を終ったのでした。

これは言うまでもなく、その前月の3月14日、官軍と幕府の代表、西郷隆盛勝海舟の会見の時、既に江戸開城の相談が成立していた為、江戸幕府270年の根城も、斯くの如く万事が平和の裡に運び、4月11日にはいよいよ引渡しとなったのでした。

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