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ロシア艦隊の砲弾飛来か?その正体は・・・

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1904年(明治37年)4月7日午前6時半、兵庫県多紀郡岡野村今福(現在の篠山市今福)西林寺の裏山頂上雑木林の中に、天地を震駭する大音響と共に、白熱の光を放って落下したものがありました。

時はあたかも、同年2月10日にロシアに対して宣戦の詔勅が下されていた事もあり

「すわ敵の砲弾ぞ、ウラジオに在るロシア艦隊が舞鶴方面に襲来し、我らに一弾を報いたるものと覚ゆ、第二、第三弾相次いで飛来するものと覚悟しろと」

村民一同、戦々恐々たるものがありました。

ちょうどこの朝、西林寺の裏山へ芝刈り出かけようとしていた岡野村の畑勝蔵氏は、人並み優れた剛胆者で、

「怪火の正体を見届けてやろう、敵の砲弾なら一層張合いもある」

と、早速現場に駆けつけてみました。

来て見ると、雑木林の老木が二三本真っ二つに割れ、辺りに木の葉や枝が散乱しているのに、思わずぞっとして、一旦村へ帰ると屈強の若者二三名と同道し、鍬を担いで再び現場に戻り、敵弾落下と見える窪地を1メートル程掘って見ました。

すると、案に相違して出てきたのは石の塊でした。

重さ約5キロ程の石で、落下後間もなくの事だったので少々生温かく、専門家に調べて貰ったところ、人騒がせの正体は、成分が94.85%の磁鉄鉱という「隕石」だったのでした。

この岡野隕石と呼ばれる石は、現在京都大学に保存されているそうです。

もちろんこれより大きな隕石落下の記録は、徳川時代の昔に度々発見されています。
1837年(天保8年)6月12日、越後国西蒲原郡米納津村(現在の新潟県燕市)落下の隕石は約32キロで、現在に東京上野の国立科学博物館に陳列されています。

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