- 2008年4月10日 02:18
- 1895年(明治28年)
1895年(明治28年)3月24日、清国講和全権李鴻章が、凶漢小山豊太郎のために狙撃されたのを、明治天皇には深く哀れみ、清国に対し3月30日より4月10日までの向こう3週間、無条件にて休戦を認めます。
李鴻章はこの間療養に努め、傷も全く癒えたことにより、4月10日から再び下関春帆楼上にて、伊藤博文、陸奥宗光両全権と会商、講和談判を継続するとになりました。
その結果、4月17日、講和条約調印成立、両全権の調印を見、20日に明治天皇の批准を得て、5月8日、芝罘(チーフ)において交換を了しました。
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