- 2008年4月20日 00:06
- 1871年(明治4年)

江戸幕府時代の飛脚制度も漸く廃止となり、新たに新式の郵便制度が採用され、目出度くその実施となったのが、1871年(明治4年)3月1日でした。
逓信省では、この日を太陽暦に換算した4月20日を以て、郵便事業誕生の記念日と定めます。
即ち日本最初の郵便切手発行も、郵便箱の設置もこの時に始まり、先づ東京、京都、大阪の三都の間に開業されました。
郵便制度の産みの親たる駅逓頭前島密が、海外の郵便事情を実地見学して帰朝の後、数々の辛酸を嘗めて創業に努力した事は、その著「鴻爪痕」にも詳しく述べられています。
当時はまだ官尊民卑の風潮が濃厚であったので、駅逓司の役人達も卑しい飛脚商売だという観念を抱いて、新事業に対する熱意を欠いていました。それだけ前島密の苦心も並大抵ではなかったのでした。
最初の切手には裏面にゴム糊(のり)が引いていなく、切手売捌所に糊を備えていました。
ところが夏時になると、糊はすぐに腐ってしまい、臭気が鼻をつくという有様でした。
上の図は初めの頃の郵便箱(ポスト)と郵便飛脚になりますが、函の表面の「書状集箱」の文字は、間もなく「郵便箱」と改められます。
しかし、これを「ゆうびん」と読める人は極めて少なく、中には「たれべん」と読んでトイレと間違え、
「それにしては高過ぎて口が横に付いている」
と言って不審がった者もありました。
また、郵便飛脚が東海道筋の町外れで、無頼の徒のため盗難や殺傷の厄に遭うことは度々でした。
殊に貨幣郵便と称する現金郵飛脚夫の危険は甚だしく、そのために護衛用として常に六連発を携帯させた創業時代もありました。
配達上の困難はそればかりではなく、宛名の本人が直接受け取る風があったので、役所等では
「ただ今宛名の者は外出中につき、今しばらく待て」
と言って、一通の信書のため2、3時間も待たされる事は珍しくはありませんでした。
こうした創業時代の珍話題については、一々挙げれば限りがありません。
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