Home > 1904年(明治37年) > 沖禎介、横川省三両烈士の最期

沖禎介、横川省三両烈士の最期

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

沖禎介と横川省三

沖禎介、横川省三の両烈士が、ハルピン郊外の原頭に、コサック兵のため銃殺に処せられ、壮烈な最期を遂げたのが、1904年(明治37年)4月21日でした。

鉄橋爆破の大任も空しく、コサック騎兵に捕らえられた両烈士は、それからハルピンの本隊へ曳かれて訊問を受けますが、両人とも最早逃れぬ処と覚悟して、臆する色もなく総てを陳述したので、取調べも極めて簡単に進み、自若として死を待つばかりでした。

万全を期し死力を傾けて成らずば今は何かせん。ただ潔く死地に就くより外はないという両人の態度には悠々迫らぬものがあり、敵の将校たちも潔く感心したと云います。

いよいよ最期の日となると、かねて携えていた1,000両(テール)の現金を、そのまますっかりロシアの赤十字病院へ寄付し、久しぶりに入浴して身を清めます。こうした日本軍人の立派な態度には、取調の衝に当ったメジャーク少佐でさえ、心から敬服して、急使を馳せて、クロパトキン将軍へ減刑を嘆願します。

時に、クロパトキン将軍は、

「自分は日本軍人の特性をよく知っている。日本の軍人は一度死を決して大任に当った以上、事敗れて捕虜になるような場合、生還を欲するような国民ではない。今回の両勇にしても、例え軍法会議で赦してやっても、彼らは日本軍人の名誉のため、恐らく腹を切って自決するであろう。即ち彼らの亡骸を山野に曝すより、彼ら勇士に敬意を払うために、直ちに銃刑に処せよ」

と、回答します。

そこで21日にの午前8時、馬車に乗せられた両烈士は、春なお寒き烈風に吹かれつつ、ハルピンの郊外へ護送されました。

二人が車を降りると、直ぐ足許に一匹の犬が駆け寄って来ました。よく見ると監禁中に可愛がってやった犬だったので、二人はニコニコしながら、交る交るその頭を撫でてやり、懐かしい友達に対するように話をしたり、ポケットに残ったパンを与えたりして、まるで目前に迫った自分たちの死を忘れたかのような、余裕綽々たる両人の態度には、さすがに敵の兵隊たちは涙を催したと云います。

午後2時、遂に時は来た。肺腑をついて叫ばれた「大日本帝国万々歳」の絶唱が、終るか終らないうちに、轟然たる銃声は北満の空を揺るがして遂に両氏を倒したのでした。

拍手する

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ 人気ブログランキングへ

関連エントリー


Comments:0

Comment Form

Home > 1904年(明治37年) > 沖禎介、横川省三両烈士の最期

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2008年4月 »
    1 2 3* 4 5
6 7 8 9 10 11* 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
Search
Photos
Tag Cloud
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top