- 2008年4月24日 00:02
- 1868年(明治元年)
日本人最初のハワイ移民が横浜を出帆したのが、1868年(慶應4年、明治元年)4月24日でした。
ハワイへの最初の移民だったばかりでなく、実にこれが日本人最初の海外移民団でもありました。
ハワイの名誉領事ウエンリードより同地の農耕開発に従事する移民を募集され、その世話方を一手に引き受けて起ったのが、横浜の大親分木村半兵衛でありました。
何しろ前例のない最初の移民の事ではあり、その勧誘には、木村も余程骨を折ったらしいが、とくかく第一回移民団153名の承服に成功します。
その内婦人が3名、他は皆男ばかりだったが、木村の最初の計画では、少なくとも3分の1は婦人を送りたかったらしいが、進取の気象に乏しい当時の女性としては無理からぬ事であったでしょう。
いざ出発という間際になって、幕府の役人から
「海外渡航は旧来の掟故、人数の如何に係わらず差許さず」
と申し渡されたので、木村もハタと困惑した。
しかし今さら先方へ対して取り消しもならず、150数名の人々に申し訳が無いばかりか、彼自身として移民募集の運動に東奔西走して、散々労力と資力を費やした後だったので、面目上思い止まる事は出来なかった。
折も折、江戸幕府は瓦解して将軍は水戸に引退、江戸城も官軍へ明渡しとなって、天下の形勢急に一変したので、幕府の命令なぞに服従する気にもなれず、この際密航を企てるに限ると一人で覚悟を定め、移民一同には印はんてんに股引姿の船仲仕に変装させ、もし咎められたら、
「仲仕仲間が伊豆へ渡るところ」
とでも言い訳するつもりで、24日にそっと船出したのでありました。
移民団一同には丁髷を切らせる約束だったので、航海の途中、二人を除いて他は全部船中で髷を斬らした。そして35日間を費やして無事にホノルルに到着すると、ハワイの国王も非常に喜んで、一同へ引一樽を贈って歓迎の意を表わしました。
すなわちハワイに現住する人たちの中で「元年者」と呼ばれるのは、この時の移民を称するのであり、同地開拓の大先輩と崇められ、今日まで伝えられています。
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Comments:1
- 子孫 2009年1月13日 00:01
木村半兵衛の血縁の子孫です。
十年くらい前までは「木村半兵衛」で検索しても
たいしてヒットしなかったのが、最近はいろいろなサイトで
名前を見かけることができて嬉しいです。
紹介してくれてありがとうございます。



