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「明治の二宮尊徳」、石川理紀之助

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石川理紀之助

「明治の二宮尊徳」と呼ばれた農業指導者・石川理紀之助翁が、秋田県下の不作荒廃を見るに見かねて、各地の救済に出発したのが、1898年(明治31年)4月26日でした。

当年54歳の彼は、5月26日までの31日間、1日も休みなく、県下32箇所を巡回して、農作物の不作に対する善後策、農薬上の実際指導から救荒義金募集、民心の鞭撻に到るまで懇切熱誠に巡回指導しながら、しかも巡回に要する費用は総て自費を投じて奔走したので、地元民悉く感激して彼の救に服せざる者はなかった。

写真のような格好で、秋田県南秋田郡山田村草木谷の山居を出発、途中窮民を他所に花見に興ずる人を見ては

 「おのれのみ花に遊ぶぞ心無き飢えて苦しむ人を見ながら」

と嘆じた。

また雄勝郡明治村の悲境を具さに視察して

 「荒れ果てて人影も無きあばら家に仏ばかりぞ住み残りけり」

と述懐しています。

その至誠神の如き彼の旅行中、不在中の草木谷の山居は鼠族の放火に依って全焼し、蔵書約2000冊、著述約70冊、悉く灰塵と化してしまいました。

翁思わず嘆じつつ、

 「ことしげ世に尽くすべき真心のまだ足らずとて神や責めけん」

と詠じました。

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