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「坂の上の雲」を掴もうとした男、二宮忠八 (2)

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二宮忠八が設計した飛行機の模型
二宮忠八が設計した飛行機の模型

日本最初の飛行機の発明家二宮忠八に依って、その創案となる飛行機の雛形が初めて実験された記念の日が、1891年(明治24年)4月29日でした。

当時二宮忠八は丸亀の衛戍病院に陸軍三等調剤手として任官中でありましたが、かねての念願止み難く、公務の余暇に造り出したのが、飛行機の模型でありました。

もちろんその時分では、日本はおろか西洋諸国にも飛行機など思いも寄らぬ時代の事で、ただフランスではアデール一人がしきりに飛行機の発明に工夫を凝らしていた時分でありました。

二宮忠八は空を飛ぶ鳥を見て、人間だって工夫次第では自由に空を飛翔出来る機械を造り出せるはずだと、先づカラス型の凧を造って、その縦の骨に竹トンボ二個を十字に組合わせたプロペラをつけ、ゴム線を結びつけて縒をかけたというのは、現在の玩具の飛行機と大差はありませんでした。

彼は4月29日の夜、密かに丸亀練兵場に、この模型を持出して実験して見ると、果せるかな、五間(約10メートル)ばかり空中に舞上がったので非常に喜び、先づ念願の第一歩が叶ったと勇み立ち、それから引続き人間が乗って飛べるような、玉虫型飛行機の工夫製作に着手しました。

翌々年の1893年(明治26年)10月1日には、写真にあるような複葉式に尾翼、滑走用の車輪及び搭乗者の座席まで設けた立派な飛行機が出来上がりました。

すなわち今日で言うグライダーであって、動力の装置はありませんでした。しかしせっかく模型が出来上がりながら、時あたかも日清の国交は危機を孕んで、軍務は転勤または転勤、まもなく開戦となって飛行機の研究も一時中止せねばなりませんでした。

明治28年8月、京城外の陣中にあった彼は、

「自分の発明した飛行機を偵察や通信に用いたら」

と思いいたり、遂に同月19日、それまでの研究や設計図を添えて、時の混成旅団大島義昌将軍に採用方を願い出ます。

書類は更に長岡外史将軍(当時歩兵少佐)より

「せっかくの発明であるが、未完成のものを採用はできぬ。殊に今は軍事多忙であるから次の機会にせよ」

との理由で突き返されてしまいました。

後世にいたって、日本の飛行界の発達に、献身的努力を払った長岡も、飛行機発明の世界的先覚たる二宮忠八の飛行機を一蹴した事は、余りにも皮肉と言えるでしょう。

彼のグライダー発明は、世界的飛行機発明の先覚リリエンタールの特許(1893年)より実に2年前の事であって、それより彼の発明工夫が継続されていたら、或はどんな結果になっていたのかと思いますと、今更のことではありますが、とても惜しまれて仕方がありません。

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