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彰義隊、官軍に破れる

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彰義隊の碑

1868年(慶應4年)5月15日、折から啾々たる五月雨をついて、幕府の残党彰義隊が、官軍に抗して上野に砲火を交え、江戸の全町を震駭させる激戦となりましたが、わずか半日で彰義隊の敗滅となりました。

江戸城は明渡しとなる、将軍徳川慶喜は職を辞して水戸へ引退、300年来の江戸幕府が潰滅して、悲憤遣る方なき幕府の残党1500名ばかりが、彰義隊と称して上野に立て篭り山王台に大砲を据付けて、官軍何ものぞと構えていると、西郷隆盛の率いる薩摩藩兵を始め、萩、佐賀、鳥取、岡山、熊本、徳島、柳川、佐土原、津、島根、名古屋、新発田などの諸藩の兵から成る官軍が、15日の朝、四方に砲列を布き、急に火蓋を切って応戦しました。

彰義隊も死力を尽くして善く戦いはしたものの始めから勝算のあろう筈もなく、上野山内の建物は落下する砲弾のため殆ど灰と化し賊軍の大部分が斬死、或は銃砲に倒されてしまった。

その当時建てられていた表入口の黒門は、今でも三輪の円通寺に記念として保管され、官軍の用いた大八車のような砲車は、上野両大師の境内に残されています。

九段の靖国神社に建てられている大村益次郎の銅像は、同所から遥かに上野の山を睥睨した益次郎が、総指揮官たる当時の颯爽たる英姿が記念されています。

上野公園入口の西郷隆盛銅像の裏側には、彰義隊の碑が建てられており、陰暦をそのまま太陽暦として、毎年5月15日の本日、追悼祭が営まれています。

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