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明治の大相撲、常陸山と大砲の好勝負

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常陸山
常陸山

1900年(明治33年)5月23日、東京回向院の夏場所大相撲も七日目の取組に、東の関脇常陸山と、西の張出大関大砲との勝負は、明治相撲史上に最も堂々たる引分を見せたと、評判されています。

両雄の立合は、呼吸が合って立上るや否や直ぐに揉合い、竜虎互いに相打つ火花を散らしての大接戦となりました。暫く汗ダクダクでエイッと力んでいましたが、いつまで経っても果しが無く、遂に検査役が引分を宣言します。

たいてい相撲の引分は他愛のない例が多かったのですが、この時の取組ばかりは、堂々として引分栄えがあり、引分の規範として後世に残したとさえ言われています。

大砲
大砲(真ん中の力士)

大砲萬右衛門
身長六尺五寸(約195cm)、大関より張出大関、それより横綱になったという角界に前例のない力士であった。その引退相撲には九日間引分を取ったので、引分と言えば大砲とまで云われる。

常陸山谷右衛門
明治屈指の名力士で、身長五尺八寸(175cm)の小柄ながらも、土俵上の攻守頗る堅固で、明治32年の入幕より、大正3年引退まで26年間に、黒星をとった事は前後15回のみでその勝率は90.9%と勝ち続けた。また広瀬武夫の友人としても有名。

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