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久松五勇士、「敵艦見ゆ」と急使

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宮古島

1905年(明治38年)5月23日の午前10時、沖縄県宮古島の西北沖合遥かに、40余隻のバルチック艦隊が、軸鑪相銜んで北上しているのを同島民の奥浜牛という青年が目撃します。

この報せを聞いた宮古島の人々は、一刻も猶予の場合ではないと、5月26日、この急を隣の八重山(石垣島)にある電信局まで知らせようと相談一決します。ところが一艘のの蒸気船があるはずもなく、そこで宮古島久松でも屈強の漁師垣花善・垣花清・与那覇蒲・与那覇松・与那覇蒲(同姓同名)の5名が選ばれます。

彼らは長さ9メートル足らずの刳り舟(丸木舟)に乗込み、力の限り、根限りエイヤエイヤと漕ぎ出すこと実に80余浬(約150km)、漁師が生業とはいえ、さすがに八重山(石垣島)に着いた時には、全身綿の如く、骨は砕けるかと思うほどの疲労が襲います。

さても不運なるか、折からの干潮のため港に入ることができず、止む無く満潮を待って港に入ること約15時間、さらに陸路を5時間走り27日の午前4時頃に漸く電信局へ駆け込んで急を告げることができたのでした。

電信は直ちに連合艦隊司令部へ報ぜられた。時既に1時間前に哨艦信濃丸より「敵艦見ゆ」との打電があった後でありましたが、この五勇士の天晴れの働きは後で明らかとなり、昭和11年海軍省より厚く表彰されました。

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