- 2008年5月27日 00:02
- 1905年(明治38年)
連合艦隊が今か今かと待ち設けた敵のバルチック艦隊は、1905年(明治38年)5月27日午前3時30分、哨艦信濃丸の発した「敵艦見ゆ」の無電に依って、鎮海湾に待機中の第一、第二艦隊は俄然勇躍、威風堂々海を圧して出動を開始します。
この日天気晴朗なれども波高く、丈夫の意気更に高く、午後2時8分に到り、バルチック艦隊は7000メートルの距離に於て日本海に相見え、未曾有の大海戦の火蓋は切って放たれました。
さしもの強敵バルチック艦隊も、翌28日の二日間で或は撃沈或は捕獲されて殆ど全滅、日露の大戦役もここに全く皇国の大勝利に決し、それから一週間経たぬ6月3日には、米国大統領ルーズベルトが、両国間の講和を勧告します。
陸軍総司令官大山巌大将は、この捷報に接すると欣喜惜く能わず、
「天地も動くばかりに聞ゆなり対馬の海の勝鬨の声」
の一首を詠んで、東郷平八郎司令長官へ祝意を表わしたと云います。
本日は横須賀の三笠記念公園に於て、第103回日本海海戦記念式典が催されます。
式典では、記念艦「三笠」のメインマストに、東郷司令長官が往時掲揚していた大将旗が掲揚されるとのことです。
この大将旗は日本海海戦の100年後の2005年にイギリスで発見され、東京の東郷神社に返還されたものです。
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Comments:3
- MV 2008年5月29日 00:38
式典に行ってまいりました。
大将旗は、現物の状態を確認したところメインマストへの掲揚は傷めてしまうかもしれないということで、板にとめて三笠舷側への掲示となり、メインマストにはまったく同じ大きさに作ったものが掲揚されました。
そして……くふふふ。(←気味悪いでしょうけど、まだ顔がゆるみっぱなしなのです。)
昨年の三笠保存会の旅行でご一緒して以来、保存会の事務局長さんとメールのやり取りをさせていただいているのですが、昨日は下甲板へお誘いくださって、伏見宮の使っていた部屋や『坂の上の雲』の撮影用のセット、そして何より真之の使っていた部屋を見せていただいたのです!
いずれお願いできないかなと思ってはいましたが、何しろ一年で一番お忙しい日でしょうから日を改めてと思っていましたのに。
真之の部屋は今では事務室として使われていますが、伏見宮の部屋はそのまま保存されていました。
真之の部屋が左舷で伏見宮の部屋が右舷なので、頭の中で宮様の部屋を左右対称にして、そこに真之を立たせる想像(妄想?)をしています(^_^;)- kaiZer 2008年5月29日 02:07
マジですか!!!
下甲板に入ったのですか!
三笠保存会発行の『聖将東郷と靈艦三笠』(昭和11年刊)に、秋山真之の参謀室のことが記されてあり、下甲板にあるというのは知ってはいましたが、でもあそこは立入禁止区域だし、聖域みたいな所だと思っていたのに、そこに入れるだなんて...
羨ましいです。(ToT)
- ツシマ 2008年5月30日 21:13
この日本海海戦の歴史的大勝利に敬意を表して同盟国の英国王エドワード七世は明治天皇にガーター勲章を授与しました。ガーター勲章の受章資格はキリスト教徒であること、英国王を表敬訪問することの二つが重要です。しかし明治天皇はいずれの条件も覆して授与されました。トルコやペルシャの皇帝はイスラム教徒ですが訪英したので授与されています。清国皇帝には一回も授与されていません。以後ガーター勲章は明治・大正・昭和・今上の近代日本の4天皇全てに授与されています。特に昭和天皇の御代には世界大戦で日英開戦となり昭和天皇からガーター勲章は剥奪されました。大戦後の日英国交回復後にガーター勲章の資格が復活されました。剥奪されたガーター勲章を再授与されたのはガーター勲章史上昭和天皇のみです。今年は今上天皇が訪英時にエリザベス2世女王からガーター勲章を授与されて10周年記念の年にあたります。そして非キリスト教徒でガーター勲章を授与されうる君主は日本の天皇のみとなり今日に至っています。




