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奥保鞏将軍と「大連祭」

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奥保鞏
奥保鞏将軍

日露戦争に於て、奥保鞏(おくやすかた)司令官の率いる第二軍が大連を占領、威風堂々と入城したのが、1904年(明治37年)5月30日の事でした。

その数日前の5月26日、日本軍は猛威を揮って南山を占領しますが、勢い余って更に追撃、一気呵成に大連に迫りました。然るにロシア軍は算を乱して敗走したため、意外に易々と占領することができたのでした。

もともと同地は、中国の地名で「青泥窪」と称する小さな村落でしたが、三国干渉による日本の遼東半島返還後のロシアが1898年(明治31年)旅順とともに租借し、「ダルニー」と命名、着々と開発し極東進出の拠点とします。

1905年(明治38年)、日露講和条約により日本はロシアの租借権をうけつぎ、「大連」と改名、自由港として大陸経営の基地としました。

大連の駅前から真直ぐに市の中央部に進む大広場には、立派な占領記念碑が建てられ、主要街に「奥町」、「東郷町」等の将軍の名が残り、或は当時の帝国軍艦「初瀬」、「浅間」等をとって町名とされたそうです。

毎年、青葉薫る5月30日を大連祭」と定め、全市民を挙げてお祝いをしたと云います。

第二次大戦後の1945年(昭和20年)に中国に返還され、1950年(昭和25年)旅順市とあわせて「旅大市」となりましたが、のち「大連」と改称します。中国の近代工業・沿海漁業の中心都市となっています。

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