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初めて国際裁判に勝利(マリア・ルス号事件)

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副島種臣

1875年(明治8年)6月14日、副島種臣に依って、ペルー船の支那奴隷解放事件は、3年目を経て日本の勝訴となりました。日本が初めて国際裁判に勝利した瞬間でした。

1872年(明治5年)6月、ペルー国の汽船マリア・ルス号が横浜に入港した際、マカオから奴隷として売られて行く清国人231名が船客名義で載せられていましたが、苦力(クーリー)二人が海に投じて逃亡を企て、イギリス軍艦に身を投じたことにより、日本官憲の探知する処となったのでした。

だが、ペルーは条約未締結国であり、障らぬ神に祟りなしで知らぬ顔をしていれば済むのですが、時の外務卿副島種臣は直ちに神奈川県令大江卓に調査を命じます。調査の結果、逃亡者の虐待のことなども判明しました。

奴隷売買の不当と人権蹂躙の立場から、一般支那居留民同様に奴隷を取扱い、ペルー船の出帆を押えて、表向きに取調べを始めます。

船長の罪は杖百にあたるが情状酌量で無罪と判決。苦力229人を清国側に引渡します。

そこで国際的に問題が紛糾し、ペルー公使は日本に謝罪と賠償を求めますが、イギリスは日本の主張に声援します。問題はいよいよ大きくなり、その談判や判決に満3年間を要する程の大きな事件となってしまいました。

副島は、帝国の正義と国権を以て一歩も譲らず、人道上決して黙許すべきでないと主張します。1875年(明治8年)ロシア皇帝の仲裁裁判判決により日本の主張を認められ、アメリカ人顧問の援助も得て、初の国際裁判に勝利したのでした。

この時、ペルー側は日本国内の人身売買を問い詰め、これにより芸娼妓解放令が布告されたのでした

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