Home > 秋山好古 > 秋山好古とヒンデンブルグ

秋山好古とヒンデンブルグ

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加
  • Posted by: sakanouenokumo
  • 2008年6月28日 00:07
  • 秋山好古

秋山好古の異名は「東洋のヒンデンブルグと呼ばれていました。

――たれもが騎兵を理解しない。
というなやみが、好古にある。
「騎兵の特質はなにか」
ということを、好古は後年、陸軍大学校で講義したとき、講義の最初にその命題をかかげ言いおわると、かたわらの窓ガラスを拳固でつきやぶった。
ガラスがみじんにくだけ、その破片が好古の手を傷つけ、血を噴きださせた。
ヒンデンブルグの相似形といわれたその顔つきをすこしも変えず、
「これだ」
といった。

坂の上の雲」(日清戦争)より

秋山好古の顔たちが日本人離れしていて、ドイツの英雄ヒンデンブルグの形相に似ていたというところからそう呼ばれていたようですが、本日は、このヒンデンブルグについての逸話をご紹介したいと思います。

ヒンデンブルグ元帥

「ドイツの荒鷲」の異名をとったヒンデンブルグ元帥が、19歳で普墺戦争のソーアの戦いに、初陣の功を立てたのが、西暦1866年(日本では慶応2年)6月28日の事でした。

当時陸軍歩兵少尉であった彼は、塹壕内に構えて、オーストリア軍に対抗していましたが、敵も相当に頑強で、ソーアの戦線も急に雌雄を決しかねていました。

と、不意に一弾が飛来して、彼のヘルメット帽に命中し、ガーンとばかり烈しい衝撃を受けると共に、パタリと打倒れ、そのまま意識を失いました。

それから1時間も後であったか、彼はむくりと起き上がり、「おお、オレはまだ生きていたのだ」という喜びと、「ふざけんじゃない」という憤怒とが同時に発して、憤然吾を忘れて塹壕を飛出すや、白刃を揮って敵の塹壕に突進したのでした。

それを見た仲間の兵も彼の突撃に勇を鼓してワーッとその後から突貫します。先頭のヒンデンブルグは弾雨をくぐって塹壕に飛び込むなり、数名を斬り倒し、逃げ遅れた敵兵を捕虜にして悠々と引き上げたのでした。

かくして初陣の功により、ヒンデンブルグには赤鷲第四級勲章が授けられ、敵弾の穴のあいた軍帽は、長く彼の書斎に記念品として飾物にされたと云います。

拍手する

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ 人気ブログランキングへ

Comments:1

こうしん 2008年8月17日 20:26

坂の上つながりで訪問しました。
南予大洲からです。
昨日の雨で、おおずも暑さがいくぶんか和らぎましたが、まだまだ盆地の大洲は暑いです。
そちらは如何でしょうか?
明日からも頑張ってください。
http://machi-com.jp/koushin/index.do

Comment Form

Home > 秋山好古 > 秋山好古とヒンデンブルグ

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2008年6月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
Search
Photos
Tag Cloud
Recent Comments
  • こうしん: 坂の上つながりで訪問 read more
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top