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廃藩置県の一大断行

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廃藩置県
聖徳記念絵画館 壁画「廃藩置県
小堀鞆音 筆
伯爵 酒井忠正 奉納
1871年(明治4年)7月14日
皇城大広間

明治新政府の大改革の一つである廃藩置県を断行し、その詔勅を下されたのが1871年(明治4年)7月14日の事でした。

この日、明治天皇は紫宸殿に出御、在京56藩の知事を召し、右大臣三条実美をして、廃藩置県の詔書を宣讃せしめます。

当時の改革では、全国を1使(開拓使)3府(東京大阪京都)302県と定められ、302県中の240県は旧藩の地名をそのまま県名に改め、役人も旧藩の参事をそのまま用いましたので、内容的には大した改革でもなかったのですが、これは旧藩中に不平分子が起こらぬようにとの叡慮からでした。

そこで漸次改革の実際を進めて、同年11月22日には3府72県に縮小し、新役人を任命させています。

それ迄には播磨に三日月県、萩野山中県などという妙な地名の県があったり、上総の一国だけでも鶴舞、鶴牧、久留里、宮谷、佐貫、一宮、桜井、松尾、菊間、飯野、大多喜、小久保の12県に分かれるという具合で、都名よりも県名の方が多いというおかしな現象が起こりました。

さらにその後、明治9年8月には3府35県と改正、明治21年12月に3府43県となります。

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