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会津攻城戦、女丈夫の奮戦

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1868年(慶應4年)8月23日の白虎隊全滅に続く8月25日、同じ会津若松城の城下で、花も恥らう乙女の身で、敵の大軍と抗戦し、遂にこれに殉じた美談があります。

奥羽征討軍のため包囲され、よく奮戦力闘した会津軍勢の中には、少年隊あり壮年隊あり、老人組共に藩主のため忠節を尽くして、会津武士の面目を施しました。

中にも藩士中野平内の娘で、20歳の竹子は、妹のいろ子及び神保雪子らと共に戦に参加しました。

「我が陣中では、女童まで加勢したと言われては、定めし会津武士の面汚しであろう」

というので、娘子軍何れも黒髪を切落とし、小倉の袴も股立ち高く、白の鉢巻を締め、草鞋或は藁草履に身軽く、薙刀をかいこんで雄雄しくも弾丸雨飛の中に飛出しました。

24日の早朝あたりから、敵の大軍は城下に迫って、戦闘いよいよ激烈、味方の者も見兼ねて

「寄るな進むな、撃たれるな」

と、彼女らを前線へ近づけまいとし、叱りつけたり或はなだめたりしました。

そのうちに味方は前に後ろに中って倒れる者数知れず、竹子らも狂乱して右に駈け左に避けつつ、じりじりと迫り来る敵を防ぐに身の危険を顧みる遑がありませんでした。

しかし、飛び道具には如何に勇敢剛毅の彼女も、遂に抗するを得ず、流れ弾に胸を撃たれ「無念」と叫んで打倒れ、妹いろ子が駆寄った時には既に息を引取っていました。

男装したとは言え、一目でそれと分る美しい女性の死顔を見たいろ子は、敵に見出されて、

「会津兵に女あり」

と笑われたく無い為に、薙刀を揮って姉の首を落し、これをかき抱いて早々陣中を脱したと云います。

「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」

これは竹子が出陣する際に薙刀に巻き付けていたという辞世の句になります。

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