Home > 1873年(明治6年) > 孝子、病弱な父の身代りに入獄を願う

孝子、病弱な父の身代りに入獄を願う

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

1873年(明治6年)8月30日の「司法省日誌」(58号)に依りますと、虚弱な父に代わって入獄願を出したという親孝行者の記録が残っています。

この願書は今の三重県渡会郡が、度会県と呼ばれていた当時の県庁に提出されたもので、県庁では、

 「入牢中の者の身代わりを許す事もならず」

と認めませんでした。

しかし、切なる孝行者の純情には係員もひどく同情して、特別にその孝子を獄中の父の側に侍らせることにしました。

当時の県庁では、司法刑務の事まで処理していましたが、前例の無い身代わり入獄または同獄内に看護の者を収容しても差支えないものかどうか、司法省へ一応の伺いを立てる事にしました。

即ち同日誌に、

懲役人に年齢五十有余、現に疾病ありと、言ふに非ざれども、従来虚弱なるが故に、その子親思うて安からず、身を以て之に代らん事を願出づ、再三に及んで遂に許されず、故に願はくは父の側に侍し、朝夕肩腰を按摩して以て懲役の労を慰めんと、其情憫れなるを以て其願を聞置きたり、右等は苦しからざる事に候哉、此段相伺候也

とあります。

しかし、司法省では、「入獄の侍養を許す法無し」として許可を認めませんでした。

拍手する

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ 人気ブログランキングへ

関連エントリー


Comments:0

Comment Form

Home > 1873年(明治6年) > 孝子、病弱な父の身代りに入獄を願う

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2008年8月 »
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
Search
Photos
Tag Cloud
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top