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宇品港(広島港)の築港着手

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宇品港
日清戦争当時の宇品

宇品港、即ち今の広島港の築港工事を起こしたのが1884年(明治17年)9月5日の事でした。

時の県令千田貞暁が、県下の良港開削を計画して、土地の興行に資するためどんな大船でも出入出来るようにと、築港費18万円の予算を立てたのでした。

しかし、地元の宇品沿岸一帯の農民が、漁場を奪うものとして、第一に猛烈な反対運動を起します。

続いて巨額の築港費に伴う増税を恐れた人達が、これに相呼応して反対を唱えたので、千田県令も彼ら大衆の迷妄を説くのにひどく骨が折れたのでした。築港が海運業に齎す大きな影響、延いては国際的発展の門戸として重要な役目を果たす事などを諄々として説き、築港の急務を叫んで反対者を押切り、敢然として工事に着手せしめたのでした。

工事が始まると反対論者は以前に倍加して盛んに彼を攻撃します。殊に築港費が予算を超過したのを理由として、遂に彼は同県を追われて新潟県へ転任の止むなきに至ります。

然して明治22年には漸く築港工事も完成しますが、それから間もなく日清戦争が勃発するや、宇品港は日本軍の兵員及び軍需品の輸送に最適とされ、重大な役目を果たすことになります。

千田県令の先見の明が今更の如く認められ、その功に依って勲二等に叙し、瑞宝章を授けられました。広島県の代表者も、遠く宮崎県に赴き、当時同県知事たる千田氏に感謝の意を述べたという逸話があります。築港のため追われた者が、そのため賞せられて後に男爵にさえ列せられたのでした。

宇品港は日露戦争でも同様、戦時中の重要港として使命を果たします。
港に面する広場には、長くその遺徳を表彰する銅像が建立されています。

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