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大日本帝国憲法制定の発端

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福地源一郎
福地源一郎

明治新政府に於て帝国憲法制定が初めて問題となり、1876年(明治9年)9月6日、明治天皇元老院議長熾仁親王を召され、国憲草案の起草を命じました。

そして国憲取調委員として議官柳原前光、福羽美静、神田孝平、細川潤次郎、中島信行等が任命されたのが公式の憲法草案任命の発端でありました。

日本建国の本旨に基き海外諸国の法を斟酌して憲法制定の大業に出発したのが、その結果として1880年(明治13年)12月に、大木喬任の『国憲』、翌年交詢社の『私擬憲法』、共存同衆の『私擬憲法意見』が現われます。ただこれらは皆、範をイギリスに取ったものばかりで、イギリス臭紛たるものがありました。

これに対して福地源一郎『国憲意見』は日本の国情に即したものとして異彩を放ちました。その後ドイツ人顧問ロエスレルや、オランダのスタインらの意見が大いに影響して、イギリス臭も多分に排除されました。

かくして1882年(明治15年)3月、伊藤博文が欧州の憲法取調のため派遣され、翌年8月帰朝まで鋭意、その調査研究に従事しましたが、伊藤博文が主として滞留したのはドイツ及びオランダの国でした。

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