- 2008年9月13日 00:03
- 1912年(明治45年) | 乃木希典
本日9月13日は、東京の赤坂を始め、京都、栃木県の西那須野町、山口県の長府町など各地に鎮座する乃木神社で例祭が執行されます。

乃木神社(東京赤坂)

京都乃木神社(伏見桃山)

長府乃木神社(山口県下関市)
言うまでもなく、1912年(大正元)年9月13日、明治天皇の御大葬の日に、乃木希典将軍夫妻が、天皇の御跡を慕って殉死された命日を例祭としています。
1877年(明治10年)の西南戦争中に、軍旗を西郷軍に奪われて痛恨肝に徹し、まさに割腹しようとしするが部下や朋輩に諌止されて遂に果せず、それからの余生は何時でも君恩に捧げる覚悟で軍務に精励。
日清戦争では第一旅団長として武勲赫々たるものがあり、日露戦争では第三軍の司令官として旅順の攻囲、奉天会戦に苦楚辛酸を嘗め尽くし、部下の将卒5万5千の死傷を数え、個人としても勝典、保典の両子を失い、生還を期せぬ自分が戦勝凱旋し、しかもその後は勅命默し難く学習院院長の栄職に任ぜられ、やがて欧米巡遊。
帰朝後間もなく明治天皇の御不例に驚き、毎日2回宮内省に参侯するも、遂に神去り給うに及んだ後は快々として日夜楽しまず。
明治10年来の命脈を今日の聖代に長らえたのも明治天皇の御恩に依る外なく、今こそ殉死して責を果すべしと固く決意、赤坂の自邸床の間には、御尊影を安置し、左右に御下賜の数々を飾り、将軍辞世の歌
「うつし世を神さりましし大君のみあとしたひてわれは行くなり」
他一首と、これに静子夫人も相和して
「出てましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢ふぞかなしき」
と同じく辞世の一首を残し、午後8時霊柩御出門の凱音と共に自刃して殉死する。
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