Home > 1887年(明治20年) > 「児童福祉の父」石井十次、岡山孤児院を設立する

「児童福祉の父」石井十次、岡山孤児院を設立する

Social Bookmarks: このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Yahoo!ブックマークへ追加 add to del.icio.us Buzzurlへ追加 livedoorクリップへ追加 ニフティクリップへ追加

岡山孤児院物語 石井十次の足跡

日本最初の孤児院として有名な岡山市の孤児院教育会が、社会事業家の石井十次に依って設立されたのが、1887年(明治20年)9月22日の事でした。

即ちこれが岡山孤児院の前身となります。

石井十次は日向国で生まれ、1882年(明治15年)に岡山甲種医学校に入学、その在学中に学費に困っている学友のため、夜間按摩業を続けて援助してやっとというような美談の人であり奮闘の士でありました。

その時分、たまたまイギリスのある孤児院の院長に関する新聞記事を読み、その献身的努力に感激すると共に、翻って日本の現状を見、我国に孤児院救済機関の無いのを遺憾に思い、先づ彼自ら率先して、この慈善事業に当ろうと決心します。

卒業を目前に控えた学業も擲ち、23歳で市内の三友禅寺の一室を借受け、親兄弟縁者も無い世にも憐れな孤児達を収容して、衣食住の世話から教育上の事まで一切を背負って立ち、その入口に文字も細く「孤児教育会」の看板を吊るしたのでした。

この事業が大難事であるかは、始めから覚悟していたので、唯々堅忍持久、尊い人の児を救ってやれる喜びに自らを慰めつつ黙々としてしかし力強くその日その日を送って行きます。

然るに開設以来3年目に、計らずも濃尾地方の大地震に際会し、急に169名の孤児を収容します。

更に1905年(明治38年)の東北地方の大飢饉に、俄かに増加した孤児の数が1,200名の多数に上りますが、彼は決してこれを拒まず、一人でも多く救ってやりたい慈悲心に奮い立ち、不眠不休の努力を続けたのでした。

彼の事業も漸く世間に認められ同情され、大原孫三郎らの財政援助を受け、また既に成長した孤児の働きにより、幾らかの財源を得るには得ます。しかし彼はシャツと猿股一貫で、寒い時にはその上に赤毛布をひっかけて、孤児と共に粗食に甘んじ、涙ぐましい奮闘を続けたのでした。

その後は、大阪事務所を開設し、1912年(大正元年)には宮崎県日向茶臼原分院に主力を移し、開墾事業なども行います。1914年(大正3年)石井没後は大原、ついで石井の妻辰子が院長となりますが、1926年(昭和元年)に解散となります。

拍手する

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ 人気ブログランキングへ

関連エントリー


Comments:0

Comment Form

Home > 1887年(明治20年) > 「児童福祉の父」石井十次、岡山孤児院を設立する

Twitter

坂の上の雲 on Twitter

坂の上の雲 on Twitter

Information
Books

「明治」という国家

Calendar
« 2008年9月 »
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Search
Photos
Tag Cloud
Links
Feeds
Blog Parts

あわせて読みたいブログパーツ

Return to page top