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西郷隆盛、城山に自決

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西南の役
城山の周りの竹矢来と濠

西郷隆盛が私学党の義憤遣る方なく、遂に東上の義兵を進発して熊本城に衝突の火蓋を切り、1877年(明治10年)西南の役は勃発しました。

私学党を中心とする九州南部一地方の大西郷軍が、目に余る各軍団を敵として、奮戦力闘実に八ヶ月、強豪当るべからざる薩摩軍の意気を示しましたが、遂に衆寡敵する能わず、最後の日がやって来ました。

即ち9月24日の午前3時55分、号砲三発を合図に官軍に依る総攻撃開始の火蓋は切られ、最後の籠城城山の陥落も時の問題となりました。


西郷隆盛は僅かの残党を率いて岩崎口に抗戦中、敵弾のため数ヶ所を負傷したので、万事休すとばかり後ろに別府晋介を招き、

「晋どん、もうこの辺で好かろう、首を頼むぞ」

と言いながら、遥かに皇居の方を伏拝み、泰然自若として51歳を一期に晋介の打卸した刀の錆と消え果てたのでした。

続いて別府晋介、桐野利秋、村田新八、池上四郎等の一騎当千の強者以下39名、或は自刃、或は斬死して西郷に殉じます。


午前9時頃、雷雨沛然と起こり、城山の鮮血を洗い落し、西南の役の終結を告げたといいますが、それから間もなく西郷の首級は参軍山県有朋の前に届けられます。

有朋は首級の前に暫時黙祷を捧げた後、

「天晴れ天下の名雄、流石に立派な最後かな」

と言って、激しく涙したと云います。

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