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体操教育の始まり

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体操

1878年(明治11年)10月24日、文部省直轄として体操伝習所の設立を見たのが、日本における体操教育のスタートとなります。

それまでの日本の教育には武道はあっても体操というものはありませんでした。

1876年(明治9年)、時の文部大輔田中不二麿が、アメリカボストン州のアマスト大学を視察した時、同大学学生の体操訓練と、その体育に及ぼす効果に痛く感動し、帰朝後文部省とも打合せて、日本の教育にも是非体操を実施すべきだと主張したので、身心鍛錬の立場から誰一人として異議を唱える者は居ませんでした。

そこで話はトントン拍子に進んで、その指導役としてやはりアマスト大学から招聘しようという事になり、文部省から正式に同大学に申込むと間もなく、明治11年6月には、同大学の卒業生ジョージ・リーランドが、遥々太平洋の彼方からやって来ます。

しかしせっかく良師を得ても適当な通訳が無かったので、田中不二麿の知人で当時仙台の英語学校に教鞭を執っていた坪井玄道という人を東京に呼び寄せ、専らリーランドの通訳として、10月24日には体操伝習所が設置され、25名の伝習生が養成されました。

1878年(明治11年)11月2日には、東京女子師範学校生徒に体操教育が実施されており、これが日本最初の学校体操でありました。

その翌年の4月2日から東京師範学校、即ち今の東京高等師範学校に実施されるに至り、教育界でも相当に重視されるようになったので、それから大学予備門、東京外国語学校でも体操教育を取入れるようになります。

当時の体操はアメリカ式というよりドイツのヤーンの流れを汲んだもので、徒手(としゅ)、亜鈴(あれい)、球竿(きゅうかん)、器械体操の種類で、年月を経ると共に次第に全国に拡がり益々盛んになりました。

その後リーランドの通訳官坪井玄道は、1902年(明治35年)にドイツの遊戯体操を学んで帰朝、川瀬元九郎はスウェーデンの体操を習得して帰ると両人ともその紹介に努め、従来のリーランド式体操も変わって漸く多角的になります。

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