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伊藤博文、ハルピン駅頭にて凶弾に倒れる

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1909年(明治42年)10月26日、前朝鮮総督伊藤博文満州巡察の途、ハルピンの駅頭に於て、鮮人安重根に狙撃され、幕末以来の明治の大功臣も69歳を一期に一瞬にして不慮の死に終ってしまいます。

当時日韓併合問題は両国の間に着々進捗していましたので、東洋永遠の平和を目指す大方針を誤解した鮮人安重根らの祖国独立快復を画策する一味は、ウラジオストクに潜行して頻りに同士を糾合していました。

折りしも日韓盟約の大立者伊藤博文がハルピンに現われると知り、先の暴挙を敢てしてその場に捕縛され、同時に共犯禹徳淳、曹道先、劉東夏の三名も同駅頭のロシア官憲のために捕われます。

彼らの一味の不穏分子は、それから三日目の10月29日、朝鮮京釜線の伊院駅に一団となって襲来し手に手に武器を揮い、官舎に発砲し停車場を焼払うなどの事件が起こります。

この日は外務大臣小村寿太郎が、安重根一味の凶行犯罪人に対し、関東都督府地方法院に於て裁判に付すると命じた日でありましたので不穏分子の示威運動と見られます。

写真はハルピン駅頭に到着の伊藤博文がロシア蔵相ユコーゾフと握手せんとする処で、安重根に狙撃される30秒前の撮影となります。

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