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香坂少佐の戦死(第三回旅順総攻撃)

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1904年(明治37年)10月30日、第三回旅順総攻撃開始後の第四日目に於いて歩兵第四十四連隊第二大隊長香坂仁介少佐が戦死しました。

香坂少佐はその前日の29日夜、将校を集めて遺言書を朗読して固い決意を示し、30日の暁には更に大隊一同に対し陣没勇士の仇を討つのだぞと声を大きくして士気を鼓舞します。

いよいよ出陣という間際に、連隊副官が香坂少佐に酒を勧めます。少佐は日頃から一大酒豪として知られていたので、喜んで盃を取ると思いきや、軽く一蹴して

「いずれ敵塁を占領してから、我輩の得意の「高い山」でも歌って祝盃を挙げましょう。今酒を飲んでは、香坂は酒気を借りて敵陣に突入したと評されるかも知れず、それでは武士の面目にかかわるから」

と大笑いしつつ、予備隊を率いて戦地へ向ったのでした。

午後1時、弾雨を衝いて突撃が開始されましたが、少佐は葉巻煙草を口にしながら、悠々どこに敵の弾が飛ぶのかという有様でありました。

たまたま負傷者が止まるのを見ると

「脚が折れたら匍匐して進め、右手をやられたら左手で撃て」

と激励し勇猛に突撃を続行しました。

弾雨いよいよ鋭く、一弾遂に少佐の右大腿部を貫きますが、びっこをひきつつ進もうとした。流血おびただしくズボンを真っ赤に染めて歩行困難となると、一兵卒の肩に縋ってなおも部下の指揮を止めなませんでした。間もなくまた一弾は腹部に命中し、どうと倒れると、もはや軍刀を杖にして立つ程の自由はありませんでした。

歯を食いしばりながら止む無く野戦病院に護送され、手術を受ける事となり、軍医が麻酔薬を注射しようとすると、それまで重傷に苦しんでいた少佐がキッとなって、

「香坂は日本の軍人だ、麻酔薬だけは止してくれ」

と言って、従容として大手術を受けたのでした。

しかしその手術の甲斐も無く、容態は刻々と悪化して

「旅順の陥落を見ないで死ぬのは如何にも残念だ」

と一語を残し遂に瞑目、護国の鬼と化します。

後で香坂少佐の行李を調べてみると、頭髪を剪って奉書に包み、これに添えた遺書には死後の処分などが詳しく記されていたのでした。

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