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妾廃止の建議

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江藤新平

1872年(明治5年)11月23日、司法卿の江藤新平と、司法大輔の福岡孝悌の両人が、明治の新政府に対して廃妾建白、即ち日本国民が妾を持つ事を法律を以て一切禁止すべしという、建議案を提出しました。

曰く

大体妾を置くようになったのは、支那の弊風が日本に伝わったもので、約一千年来の久しい間、貴族や武家、或は富者等の間に殆んど公然と行われてきた風習である。一夫一婦こそ家庭の美風であり、一家和合の大道であり、従来は兎に角、今後は日本の面目のため、この弊風を改革断行するため、法律を以て禁止すべきだ。

という意見でありました。

中国の文献に依ると、唐、周、宋の古い時代から、天子の後宮には百数十人の夫人を置いたように記されているが、これは支那式の誇張として、実際は20人内外の夫人を置いた事は確実で、これに倣った各豪族が数人の妾を置くのを常例としました。

この弊風が伝わった日本では律令制定時代の古くから、戸籍統計にも見えるように、妻112人に対して妾が23人と示されています。

以来偉人英傑と称される人の中にも蓄妾の例は少なくないし、武家時代各将軍の第二第三第四夫人の例も珍しくはありません。

しかしながら、この弊風がなお今日に伝わるのを慨した江藤、福岡の両人の建議も、遂にそのまま問題とならず、立ち消えとなってしまいます。

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