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乃木希典と次男保典少尉の戦死

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写真左は乃木希典の長男勝典、右は次男保典

1904年(明治37年)11月30日、強行軍の末、遂に二百三高地を占領しました。
そのために多くの犠牲者を出しますが、その中に司令官乃木希典の次男乃木保典少尉も討死しています。

同年夏の南山の激戦で、乃木将軍派長男の勝典中尉を討死させ、更に保典少尉戦死の報は、12月1日の夜更け、高崎山の山腹に在る二百三高地攻囲軍司令部へ、電話を以て知らせて来ました。

師団司令部からの報告で、白井二郎参謀が電話口に出てみると、

「友安治延少将の率いる後備歩兵第一旅団の副官であった保典少尉は11月30日の午後4時頃、村上連隊本部へ戦況報告の使命を果たして、その帰途敵弾のため戦死された。父上乃木司令官へ哀悼切なるものあり謹んでお伝えくだされ。」

という意味の電話であったので、ひどく胸を打たれた。

乃木司令官は、参謀児玉源太郎大将との軍議を済して、たった今寛いだばかりの処であったので、軍服も脱がず靴もそのまま椅子にかけて沈思黙考の姿に、ドアを排して白井参謀が、恐る恐る入ってきました。

11月26日、白襷隊が全滅して、連日連夜乃木将軍は一睡もしていませんでした。11月30日、二百三高地を占領したのはホンの束の間で、翌12月1日には、敵軍大挙して同陣地を奪回してしまいます。

今また、保典少尉の報を齎した白井参謀が、戸口に立って躊躇したのも無理がありません。彼が思い切って電話の事を取り次ぐと、乃木将軍は軽く肯いただけでした。

白井参謀が涙を呑んで、感慨無量でいると、乃木将軍は静かに、

「わたしはたった今、椅子に寄りかかって睡んでいるうち、保典が副官肩章を懸けずに来たから、叱って帰した夢を見ていた。」

と少しも驚いた様子はなかったと云います。

白井参謀は一層感激して

「閣下の御心中お察し致します」

と言えば、将軍はいつもの冷静さで

「私だけが我が子を失ったように言ってくれるな。今度の戦争で、我が子を、父を、また兄弟を失った人が幾萬とも数え知れぬのを思うと、勝典、保典の戦死はせめてもの私の慰めになる。おお忘れていた。東京から陣中見舞いの餅が送って来ている。君達みんな食べてやってくれ。」

と、将軍は少しも我が子の戦死を気にする様子は見せませんでした。

かくて12月12日には、保典少尉の遺骨や形見の品々が、乃木将軍の陣中に届けられますが、この日の将軍の日記には、

爾霊山の険豈攀づるに難からんや。
男子の功名克艱を期す。
鉄血山を覆い山形改まる。
萬人斉しく仰ぐ爾霊山

という一篇の詩が記されています。

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